「失意」という精神的ダメージから身を守る①
緊急事態宣言が出され、政府はその期限を5月6日としました。
心のどこかでは、そんなに早く収束するはずがないと思いながらも、5月6日を心待ちにしている方もいるかも知れません。
また、緊急事態宣言が解除されたら、元どおりの日常が送れると期待している方も多いのではないかと思います。
けれど、この「◯日までの辛抱だ」「夏になったら解放され元どおりになる」
と言った希望の持ち方は、時に私たちに大きな精神的ダメージを与えると唱える人たちがいました。
それは、強制収容所での過酷な状況や、何年も続く捕虜生活と拷問を生き延びた人たちです。
各国のトップは口々に、コロナウイルスとの戦いは戦争であると表現しましたが、
もしそうなのであれば、戦争という過酷な状況を生き抜いた人々の体験から、
今の私たちは何か学べることがあるのではないかと思います。
強制収容所を生き抜いたフランクル
ヴィクトール・エミール・フランクルという人をご存知でしょうか。
彼は、オーストリアの精神科医であり、ユダヤ人です。
そして、それ故に、第二次世界大戦の際にナチスドイツによって
アウシュビッツ強制収容所に送られてしまいます。
もちろん、フランクル一人でなく、彼の両親も、兄も、結婚したばかりの妻も、ユダヤ人として強制収容所に送られ、殺されてしまいます。
フランクル自身も、収容所の中で過酷な労働、寒さ、飢え、暴力に苦しみといういつ終わるか分からない収容所の生活を送りながらも、その状況を耐え抜いて生還しました。
そして、その時の体験を克明に記録した、ベストセラーとなる「夜と霧」を執筆したのです。
家も、家族も、食べるものも、お金も、自由も、すべて奪われてしまった時、
人は、こんな人生に何の意味があるのだと絶望します。
いったい、この人生に、生きる意味などあるのか、と。
強制収容所は、こうした全てを奪われた人々の集まりでした。
そんな中で、フランクルは囚人たちが何に絶望し、
どんなことに希望を見出したのかを精神科医の視点からつぶさに観察しました。
そして彼が発見したのは、絶望の中での生き延びる力です。
人生に期待するのをやめ、生きる目的を持つ
「クリスマスには収容所から解放される」という噂が広まったのち、
その通りのことが起きなかったとき、人々は失望し、自暴自棄になり、力尽きてしまいました。
また、夢の中で「5月30日に戦争が終結する」という予言のような声を聞き、それを信じたその人は、
何の状況変化も起こらなかった5月29日に高熱を出し、31日には亡くなってしました。
フランクルは、「人生に期待するのをやめよ」と言います。
人生に何かを期待し、そこに生きる力を託してしまう時、
それが現実のものとならなかった時、人は失意のうちに生きる力も無くしてしまいます。
そんな状況を生き延びる唯一の道は、「生きる目的」を持つことだとフランクルは悟ります。
「生きる目的」を持つためのコペルニクス的転換とは
そして、そのためには「コペルニクス的転換」が必要だと言います。
つまり「人生の意味を問う」ことから、「人生から投げかけられている問いに応える」ことへの転換です。
「もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、
わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。
生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。
わたしたちはその問いに答えを迫られている。
考え込んだり言辞を弄することによってではなく、
ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。」
さらに、フランクルは言います。
「どんな時にも人生には意味がある。
未来で待っている人や何かがあり、そのために今すべきことが必ずある」
そうして、未来に向けた「生きる目的」だけでなく、
極限状態においても人間性を保つことの重要性についても指摘します。
囚人たちの中には、そんな過酷な状況にあっても、音楽を楽しみ、夕焼けを見て心を震わす者たちもいたと言います。
一瞬、一瞬を大切にして、美や創造の喜びを感じることが、
どんな状況にあっても生きがいを見いだす力になるのだと。