Helix Centre|東京・三鷹市・武蔵野市のカウンセリングルーム

Helix Centreでは三鷹・武蔵野市周辺の18歳以上の方を対象に、臨床経験豊富な女性臨床心理士がカウセリングを行っています。

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シャルトルのラビリンス

大聖堂の天井画

The Labyrinth of Cathédrale Notre-Dame de Chartres
 

パリのノートルダムが初期ゴシック建築の傑作なら、クラシカル・ゴシックの最高傑作はフランス中部にある都市シャルトルのノートルダム大聖堂です。
 
11世紀初めにロマネスク様式で建てられたシャルトルのノートルダム大聖堂は、12世紀末に一度火災によって焼け落ち、ゴシック様式で再建されたのです。
 
中世では、巡礼者のために床にラビリンス(迷宮)が描かれる大聖堂が現れましたが、このシャルトルの大聖堂の床にも、ラビリンスがあります。
 
ラビリンスは迷路と間違えられやすいのですが、実は全く別の構造です。
 
ラビリンスと聞いて、クレタ島クノッソス神殿のラビリンスを思い出す方もいらっしゃるかも知れませんが、
 
まさにこのクレタ島のラビリンスの紋章であるLabrys(両刃の斧)がLabyrinth(ラビリンス)の語源であったという説もあります。
 
クレタ島にあるラビリンスは、いわゆる迷路のような通路が入り組んでいるような建造物ではなく、分岐のない一本道がグルグルと続いているのですが、
 
これこそが、ラビンリスの特徴です。
 
ラビリンスでの通路は決して交差せず、道に選択肢はありません。
 
そして、グルグルと一本道を辿っていくと、何度も中心の近くを通りすぎることになります。
 
つまり、幾度もついに中心に辿り着いたかと思いきや、まだまだ道のりは続いていくのです。
 
すると一本道なのに、自分がまるでどこかで道を間違えたかのような不安を感じはじめ、何度も何度も中心に辿りついたかと思ったらやっぱり違ったとがっかりすることになります。
 
けれどその道は実際に中心へと通じていて、必ず中心に辿りつけるのです。

中心に辿り着く以外の選択肢はないのです。
 
そしてその一本道を辿っていくことで、その空間内のすべてを通る、すべてを体験するような設計になっているのです。
 

アリアドネの糸

 
何か複雑な物事を解決する際に、「糸口を探す」「手がかりを探す」と言いますが、
 
英語では「糸口」「手がかり」は、clueです。
 
もともとclueは糸玉、つまり糸をグルグルと巻いてまるめたボールを意味していました。
 
そして、この糸玉は、アリアドネの糸玉のことです。

アリアドネとはミノス王の娘です。
 
クレタ島のミノス王は、自分の后パシパエが美しい白い雄牛と交わり産んだ、牛の頭を持つミノタウロスを、
 
名工ダイダロスに建造させたラビリンスの奥深くに閉じ込めます。
 
そして、成長し凶暴になったミノタウロスの食料のために、9年毎に7人の少年と少女を生け贄として捧げていましたが、
 
あるときアテナイの英雄テーセウスがこの生け贄に自ら志願し、クレタ島にやってきます。
 
テーセウスに恋したミノス王の娘アリアドネは、彼にラビリンスから脱出するための糸玉を渡します。
 
こうしてテーセウスは、ラビリンスでミノタウロスを倒し、アリアドネの糸を辿って無事にラビリンスから脱出することに成功するのです。
 

シャルトルのラビリンス

 
シャルトルのノートルダムのラビリンスは、11の同心円からなり、その中心には6枚の花弁を持つバラが描かれています。
 
バラは、大いなる自己、セルフの象徴です。
 
つまり、ラビリンスは、真の自己への回帰を表現しているのです。
 
中世ヨーロッパでは、個人としての巡礼者が、世界・宇宙の創造主であり中心である神との合一を目指す、瞑想の一つの方法としてこのラビリンスを用いていました。
 
ラビリンスは人生の道のりにも似ているし、何かの物事を行ううえでのプロセスにも似ているのではないでしょうか。
 
必ず中心に辿り着くことを信じたいけれど、
 
幾度も間違えたのではないかという不安にふるえ、
 
もう辿り着けないかも知れないと恐怖に戦きながら、
 
それでも微かなアリアドネの糸を辿って進んでいく。
 
カウンセリングも、そんなプロセスにどこか似ています。

セッションのなかに立ち現れてくるアリアドネの糸を一緒に辿りながら進んでいきます。

クライエントの脳裏には、何度も、何のためにこんなことをしているのだろうと疑問がよぎります。

もう中心に辿り着いたかと思うと、それはまだ途中でしかないことが分かり、がっかりしてしまいます。
 
カウンセリングでは、途中で休憩してもいいし、どこまで進みたいかは自分で決めてよいことだと思います。
 
必ず中心に辿り着かなければならないこともないでしょうし、
 
自分で進む意図も無いのに進んでいる方もいるでしょう。
 
それでも、人生のラビリンスでは、今日も、呼吸をし続けることを選んでいるのであれば、
 
あなたはラビリンスを進んでいるのだと私は思います。
 
そして自分で意図しなくても呼吸をし続けられているのであれば、
 
それは大いなる自己が、あなたがラビリンスを進むのを後押ししているのではないかと思います。
 
 
2019年05月03日 18:02

アルテミス・ウーマン

鹿

神話の役割

 

元型心理学の創始者であるジェイムス・ヒルマンは、

 

神話について次のように言っています。

 

「神話の研究は、出来事がそれの神話的な背景に照らして認識されることを可能にする。

 

しかしながら、それよりも重要なことは、神話の研究によって、

 

魂の生活を神話的に知覚し経験することが可能になることである。」

 

そのクライエントさんは、ドイツ人の女性でした。

 

(ご本人の承諾を得て、個人情報は伏せた上で書いています)

 

彼女は、幼少期からとてもボーイッシュで、自立心旺盛な子どもでした。

 

男性に対して強い競争心怒りを持っていて、

 

女性を見下したり、単なる性的な存在として扱うような男性には、

 

烈火のごとく怒りをあらわしていました。

 

自分の人生における目標が明確で、

 

その目標に向けて次々に行動を起こしていきます。

 

物事を計画し、コントロールしないといられないところもありました。

 

彼女の悩みは、男性含め人と親密な関係を持てないということでした。

 

近くにいる人ほど、冷たく、嫌な対応をしてしまうのでした。

 

アルテミスとアクタイオーン

 

そんな彼女の魂の生活の背後には、処女神アルテミスがいました。

 

アルテミスは、ギリシャ神話に登場する処女神で、

 

狩猟を司る女神でもありますから、

 

狙った獲物は逃さず仕留めていきます。

 

森のなかの泉で水浴しているところを、

 

たまたま通りかかったアクタイオーンに見られたアルテミスは怒り狂い、

 

アクタイオーンを鹿の姿に変えてしまい、

 

彼が連れていた犬に襲わせて殺してしまいます。

 

そんなアルテミスと同様に、

 

アルテミス・ウーマンもまた、

 

自分の弱い面、素顔を見られることを恐れ

 

彼女のこころの柔らかいところに踏み込んで来る者には、

 

怒りという形で追いやらずにはいられませんでした。

 

そのクライエントさんは、長い時間をかけて

 

彼女のなかにいる「内なる少女」に出会っていきました。

 

その少女こそ、アルテミスが守っていた存在です。

 

アルテミス・ウーマンは、

 

自分もまた人を必要としていることを認識することで、

 

変わっていきます。

 

2019年01月29日 17:28

プライドと自己愛

水面に映る木々

プライドが邪魔をする

 

前回のブログでは、「非合理的信念」が私たちを苦しめているという

 

お話しをしました。

 

「自分はいつも必ず上手くやらなければならない、そうでなければ、自分はダメ人間だ!!」

 

「人はいつも必ず自分に優しく、平等に扱い、親切で、礼儀正しくなければならない、そうでなければ、みんなろくでなし」

 

「人生はいつも必ず自分の思い通りになるべきで、そうでないなら、耐えられない」

 

と思っている方が目の前にいたら、

 

少しプライドが高いと感じる方もいるかも知れません。

 

ちょっとした自分のミスを許せなかったり、

 

自分に少しでも失礼な態度を取る人を許せなかったり、

 

自分にとって都合の悪いことが起きることを受け容れないのは、

 

プライドが高いようにも感じてしまいますよね。

 

自分のプライドが邪魔して自由に行動できない、

 

自分のプライドゆえに自分にも他人にも厳しくなってしまうという経験は、

 

誰にでもあるのではないかと思います。

 

けれど高すぎるプライドの背景には、

 

とても苦しい「自己愛の傷つき」が隠れていることがあります。

 

自己愛とナルキッソス

 

「自己愛」は、ギリシャ神話のナルキッソスに由来する、

 

英語のNarcissism(ナルシシズム)を日本語に訳したものです。

 

美しい青年ナルキッソスに恋をしたエコーは、

 

ゼウスの怒りをかったために、自分からは話しをすることが出来ず、

 

相手の言葉を繰り返すことしか出来ません。

 

自分からは話しかけられないエコーを、

 

ナルキッソスは冷たくあしらいます。

 

傷ついたエコーの恨みを聞き入れた復讐の女神ネメシスによって、

 

ナルキッソスは水面に映る自分自身に、

 

決して叶うことのない恋をしてしまいます。

 

そんなナルキッソスに由来するナルシシズムは、

 

「自分自身に対する関心の集中」の現れです。

 

健全な自己愛と、不健康な自己愛

 

ただ、この「自分自身に対する関心」には、二つの種類があります。

 

一つは、健全な「本来の自分自身に対する関心」で、

 

自分が何をどう考え、感じているのかといった関心で、

 

内省を可能にするものです。

 

またこうした健全な自分自身にたいする関心は、

 

Self-love(セルフ・ラブ)自尊心といった

 

健全に自分を愛することができることの基礎にもなります。

 

一方で、「他人がもつ自分に対する評価への関心」があります。

 

これは、本来の自分自身というよりも、

 

「他者に映し出されるイメージとしての自分」に対するこだわりです。

 

この他者が持っている自分のイメージや評価に関心が集中してしまうと、

 

本来の自分からはどんどん疎外されていき、

 

自分が本当はどんな風に思っているのか、

 

感じているのか分からなくなってしまいます。

 

また他者による自己評価は、

 

自分ではコントロールできないものですから、

 

不安がなくなることはありません。

 

こんな風に他人からの評価に依存してしまうようになるのは、

 

やはり小さい頃の苦しい体験があります。

 

ナルシシズムの方は、

 

ナルシシズムの苦しみをもった親が背後にいることが多いのです。

 

自分に感心を向けてもらえないエコーが、

 

自分から、自分の話しをすることができなかったように、

 

ナルシシストの前では、

 

その人は存在することが出来ないのです。

 

ナルシシストの親の前では、

 

本来の自分自身に関心を持ち、

 

健全な自己愛を育てることは難しくなってしまいます。

 

すると自分の価値を他者からの評価に依存せざるを得ないのです。

 

多くのクライエントさんは、

 

子どもの頃に自然に持つ

 

「ちゃんと自分を見て欲しい」

 

「ちゃんと自分の話しを聴いて欲しい」

 

という自然な欲求が満たされなかった辛さを感じたくないために、

 

その欲求を自分が持っていることを

 

否定してしまっていることが少なくありません。

 

だからこそ、その否定を取って、

 

自分のなかにあるそうした自然な欲求を

 

認められるようになることは、

 

カウンセリングにおける一つの課題となります。

2019年01月25日 06:28

世界はこうあるべきだ!!の罠

考える

アルバート・エリスとイラショナルビリーフ

 

前回に引き続き、「認知」について考えてみたいと思います。

 

現在の「認知行動療法」の基礎をつくった臨床心理学者の一人に、

 

アルバート・エリスがいます。

 

アルバート・エリスは、アメリカの臨床家で、

 

Rational Therapy(論理療法)を提唱しました。

 

前回、私たちの頭のなかの「考え」が、

 

私たちを不安にさせたり、焦らせたり、苦しめているという

 

話しをしましたが、

 

エリスの面白いところは、

 

どんな種類の「考え」が私たちを追い込むのかを

 

明らかにしたことです。

 

エリスは、Irrational Belief (イラショナル・ビリーフ)

 

つまり「非合理的信念」が、私たちを苦しめるのだと言います。

 

3つの「絶対的要求」

 

その中には、「絶対的要求」というものがあります。

 

この「絶対的要求」は3つのものに向けられます。

 

一つ目が、「自分に向けられる絶対的要求」です。

 

例えば、「自分はいつも上手くやらなければならない」というものです。

 

ちょっとしたミスで落ち込んでしまう人が、

 

どんな風に考えて落ち込んでしまうのかを探っていくと、

 

そんな「要求」があり、

 

そこから派生して「そうでなければ、自分はダメ人間だ!!」

 

「そうでなければ、自分には価値がない」と、

 

信じているのです。

 

こうした信念は、その人を落ち込ませ

 

罪悪感恥の気持ちを感じさせてしまいます。

 

これはとても苦しいですよね。

 

二つ目は、「他人に対する要求」があります。

 

例えば、「人はいつも自分に優しく、平等に扱い、親切で、礼儀正しくなければならない」

 

といったものがあります。

 

この要求があると、「そうでなければ、みんなろくでなし!」と、

 

人に対する怒りとなって現れます。

 

最後の3つ目は、「世界に対する要求」です。

 

例えば、「人生は自分の思い通りになるべきだ」といったものがあります。

 

そして、「そうでないなら、耐えられない」

 

「そうでないなら、この世の終わりだ」といった信念が

 

派生して生じてしまいます。

 

こうして文章として読んでみると、

 

自分はそんな極端なことを考えてはいないと思われる方も、

 

何か落ち込んでしまったり、

 

恥ずかしくなったり、

 

誰かに対して怒りを感じたり、

 

人生にたいして絶望を感じているときには、

 

是非、あたまの中でどんなことを考えているのか、

 

紙に書き出してみてください。

 

そして、その考えに「絶対的要求」が隠れていないか、

 

そこから非合理的な信念が生じていないかチェックしてみてくださいね。

2019年01月21日 23:07

現実をありのままに受け止める

混ざったインク

現実をみることの難しさ

 

前回のブログでは、

 

パニックにならないために心を落ち着ける方法として、

 

ヴィパッサナー瞑想について触れました。

 

そして、「現実をありのままに見る」ことの重要性についても。

 

でも、「現実をありのままに見る」って、

 

実はとっても難しいですよね。

 

では、なぜ、私たちには「現実をありのままに見る」ことが

 

難しいのでしょうか。

 

それは、私たちが物事を認識するときには、

 

フィルターを通して認識しているからです。

 

よく使われる例えは、

 

私たちはみな世界を見るために「色メガネ」をかけているけれど、

 

自分がメガネをかけていることにも気付いていないし、

 

それがどんなメガネなのかもよく知らない、というものです。

 

認知とは

 

心理学では、これを「認知」と呼びます。

 

心理学における「認知」とは、

 

ひとが外の世界にある対象を知覚し、

 

それがいったい何であるのかを「判断」したり、

 

「解釈」したりするプロセスのことを指します。

 

そして、その「判断」や「解釈」は、

 

その人の経験や知識に基づいて行われます。

 

例えば、人との関係で傷ついた経験がある方は、

 

知人に街ですれ違って挨拶をして返されなかったら、

 

「無視された」と悲しくなったり、

 

「何か気に触ることをしてしまったのかも」と不安になって、

 

次にその人に会っても距離を取ってしまうかも知れません。

 

あるいは、どこか自分に自信が持てずにいるかたが、

 

企画を提案して却下されたときには、

 

「自分には才能がない」と落ち込んでしまったり、

 

「自分はあの上司に嫌われているに違いない」と怖くなって、

 

次からは企画をたてることを止めてしまうかも知れません。

 

事実の仕分け作業

 

これを読んでいる方は、もう気付かれたと思いますが、

 

「無視された」も「自分には才能が無い」も、

 

「気に触ることをしてしまった」も、

 

「上司に嫌われているに違いない」も

 

すべて「事実」ではなく、「解釈」であり「判断」ですよね。

 

もっと言うと、それは単なる「考え」です。

 

けれど、この「考え」がひとを悲しませたり、落ち込ませたり、

 

不安にさせたり恐怖を感じさせています。

 

さらには人から遠ざかり、

 

もう企画は出さない、という「行動」につながっています。

 

こんな風に事実、考え、感情や行動は混ざり合って絡まりあってしまっています。

 

そこで、認知行動療法では

 

「事実」と「考え」を分けることを練習します。

 

上記の例でいえば、

 

「知人に街ですれ違い挨拶をしたら返ってこなかった」

 

「提案した企画が通らなかった」

 

というのが、事実ですよね。

 

認知行動療法では、この先がありますが、

 

まずはこの「事実と考えの仕分け作業」が出来るようになることは、

 

とても重要です。

 

是非、次に何か不安になったり、

 

怖くなったり、落ち込んだときには、

 

「事実」は何なのかを探して、

 

「ありのままに事実を見る」ことを意識してみてください。

2019年01月16日 21:53

カウンセリングって何するところ?②

緑のトンネル

前回、こころの変容のための「容器」としてのカウンセリングのお話しをしました。

 

そして、「色々な感情や考えが湧いてきても、それを取りあえず脇において日常生活を送ることが出来るのはその人の強さ」と書きました。

 

カウンセリングで体験されることの一つに、この「内なるスペースを作ること」があります。

 

この内なるスペースがないと、日常生活で起こる出来事一つ一つに必要以上に反応してしまったり、自分のなかに湧いてくる一つ一つの感情に圧倒されてしまう感じがしたり、目の前のことを楽しんだり集中できないというような状態になりがちです。

 

認知心理学に、ワーキングメモリ(作業記憶)という言葉がありますが、

 

これは、脳の前頭葉の働きを指す言葉で、記憶から引き出したその時々に必要な情報を一時的に置いておき、それらを同時に処理する能力のことを言います。

 

その名のとおり、作業をするための領域のことなので、作業をするのに必要な道具やモノを置いておく作業机にたとえられます。

 

ワーキングメモリは鍛えられるかどうか、というような議論もありますが、この作業机に同時に載せておくことが出来る情報の量は、だいたい7つ前後と決まっていると言われています。ですので、ワーキングメモリがきちんと働いているということは、この作業机がいつも整理され、不要なものはどんどん手放していけているということを意味します。

 

こころの内なるスペースについても、同様のことが言えます。

 

前回、「未完了の仕事」について触れましたが、苦しくて無視してしまったり、辛くて目を向けられなかったり、自分でもそれを理解することができないためにモヤモヤしたままになってしまった色々な想いは、「未完了の仕事」としてこころのどこかに置きっぱなしになって、私たちのこころのスペースを占領していることがあります。

 

そうした「未完了の仕事」をしっかりプロセスして手放していくことで、こころにスペースが生まれます。

 

過去から持ち越してきた沢山のこころの荷物を整理して、こころの中の風通しをよくすると、精神的な余裕や遊びが生まれます。

 

また、このこころの内なるスペースがあると、日常生活での大変な出来事が、自己成長の機会にもなり得ます。

 

生きている限り、ストレスはなくなりませんし、新しい問題が次から次へと身に降り掛かってきますよね。ワーキングメモリと同様に、次から次へと入ってくるものを処理して、手放していかなければなりません。

 

こころに内なるスペースがあることで、周囲の人や出来事に振り回され、自分の気持ちに振り回されるのではなく、自分はいまどう感じているのか、それは自分にとって何を意味するのか、自分はどうしたいのか、といったことを“reflect”(熟考)することができます。このリフレクションこそが、こころの成長には欠かせないものではないかと思います。

 

自分の人生を生きるために必要なスキルでありながら、なかなか機会のないこころの整理とその仕方を学べるのがカウンセリングでもあります。

 

ただ、これらはあくまでもカウンセリングで多くの方が体験されることの一つに過ぎませんし、必ずしも同じ体験になるとは限りません。

 

また、カウンセリングだけがこうした体験の場ではないとも思いますが、ご自分のこころに関心を持つ方には、ご自分に合ったカウンセリングでこころのスペース作りを体験してもらえたらと思っています。

2018年12月12日 06:00

カウンセリングって何するところ?

抱える蝶

カウンセリングにおける「見守り」と「抱えられ」体験

 

カウンセリングって、何をするところなのでしょう。

 

もちろん、これには色々な視点と立場によって違った返答があるでしょうし、カウンセリングにおけるステージによっても、また複数ある要素のどの部分にフォーカスするのかによっても違ってきます。

 

なので、何が正解ということはないのですが、自分自身のカウンセリング体験とカウンセラーとしての体験から私が一番しっくり来るのは、カウンセリングとは心の変容のための「容器」である、というイメージです。

 

カウンセラーの温かで価値判断の無い関心と見守りが、安全で守られた時間と空間を作り出し、そうした安全な容器のなかにしっかり抱えられているという感覚は、なかなか他では味わえない独特の感覚です。

 

(実際にカウンセリングの空間をどう感じ、カウンセラーの視線を「暖かく・価値判断が無い」と感じるか、「冷たく・批判的」に感じるかというのは、クライエントさんの背景やカウンセラーとの相性によっても違ってくるので、そう感じるのが普通でそう感じないのはダメということではありません。

 

以前のブログで書いたように、その空間をどう感じ、カウンセラーとの関係をどう体験しているか、ということそのものが、話し合っていけるととても有意義な大事なカウセリングのテーマでもあります。)

 

こうした「見守り」と「抱えられる」という体験だけでも、それが日常で得られていない方にとっては十分に治療的な体験となることもあります。

 

更に、こうした「容器」があることで何が違ってくるかというと、日常生活のなかでは流れていってしまう私たちのなかに生じる考えや感情を深めるための時間がもてるということです。

 

人間関係での傷つきや怒り、何か引っかかる感じがあったり、なにかモヤモヤするけれどそうした気持ちをちゃんと見る時間もないし、とりあえず無視して毎日を送る。

 

辛いことや悲しい別れ・出来事があったけれど、その気持ちを見てしまうと生活できないから、とりあえず心の片隅に押しやっておく。

 

現在の生活にどこか満足できないし、自分の深いところにある欲求や情熱、願いがあるのは感じているけれど、それを掘り下げるのは怖いから気付かないふりをする。

 

自分にちゃんと向き合いたいと思っていらっしゃる方でも、忙しい日常生活ではそんなスペースも時間も無いのが普通ではないかと思います。

 

色々な感情や考えが湧いてきても、それを取りあえず脇において日常生活を送ることが出来るのはその人の強さですし、生きて行くうえで必要なスキルでもあると思います。全ての感情や考えを掘り下げないとならないわけでも無いと思います。

 

けれど、中にはその時々でちゃんと表現する必要があったり、自分で認識してあげる必要のある気持ちや考えというのがあります。

 

カウンセリングという非日常の安全な「容器」があることで、そうしたものに向き合う時間と空間が持てます。

 

未完了の仕事をする

 

逆に、そうした感情に向き合うことが出来ないと、流したつもりでもまるで心にしこりのように残ってしまうこともあれば、よりよい人間関係を築く機会や自己成長・自己実現につながる機会を逃してしまうこともあります。そんなやり残してしまった「仕事」のことを、カウンセリングでは“Unfinished work”「終わっていない仕事」「未完了の仕事」といいます。

 

そうした自分でも気付いていない「未完了」のワークをするのもカウンセリングの一つの目的です。それをするためには、冷えてしまった感情、しこりのように固まってしまった思いを、もう一度「温め」、「柔らかく」するための容れものが必要なのです。

 

50分から1時間のあいだ、ひとりの人間がその人の全感覚を使って自分の話しを聴いてくれるというのは、とてもパワフルな体験です。そこには何かがギュッと凝縮していくような濃密な時間が生まれます。あるいは、地下鉱脈を探って、少しずつ心を掘り下げていくような感覚とも言えるかも知れません。

 

もちろん、クライエントさんが耐えられる程度においてしか掘り下げることはありません。(クライエントさんの状態によっては、お話しを聴いて理解し共感的にサポートするだけの場合もありますし、カウンセリングがサポートにならない状態の方にはカウンセリングを受けることをお勧めしないこともあります。)そのため、5cm掘るのに1セッションで進むこともあれば、心が決壊しないように、数年かけて堀を固めて、ようやく5cm進めることもあるのです。

 

けれど、心のプロセスは成果主義・効率主義に従っているわけではないので、早いほうが良いとか、効率が良い方が良いというわけではないのです。クライエントさんの心にとって必要な時間と、必要なプロセスはみな違います。

 

 

お一人お一人のこころのプロセスに寄り添い、クライエントさんにとってのしっかりした「心の変容のための容器」を提供できるよう自己点検を怠らないようしていきたいと思います。

2018年12月08日 13:43

”ブログは知っている”

ブログを開設しました、と前回書いたのですが、実はこれからどんなことを書いていくのか、あまり見通しがありません。

 

こんな時、ユング派の分析家であり、元型心理学の創始者でもあるジェイムス・ヒルマンが、あるインタビューの中で言っていた言葉を思い出します。

 

ヒルマンは、今日のこのインタビューの中で何が話されるべきなのかを、質問するインタビュアーも自分自身も分からない、けれど、”The interview knows”(インタビューは知っている)、というようなことを言いました。

 

この感覚は、カウンセリングのセッションを行うときに抱く感じと似ています。あるクライエントさんと、あるセッションが始まる時に、そのセッションで「何が起こるべきなのか」を、クライエントさんも知らないし、私にも分かりません。どこに向かっているのかは、セッションがすすむなかで、だんだんと潜在していた大事なテーマがハッキリしてくるのです。(こんなことを言うと無責任で無計画に聞こえるかも知れませんが、そういう訳ではないのです)

 

もちろん、カウセリングのプロセスの各段階で向き合う必要があるとカウンセラーが感じているテーマなどもありますし、クライエントさんの側でもその時々で話したいイベントやテーマを持ってこられることはありますので、そんな時はそうしたものを大事にします。

 

けれど、多くの場合、事前に計画した通りのことは起こりませんし、カウンセラーが理論や頭のなかの「こう進むべき」を考えて、それに従ってしまうと、あまりいいことは起こらないというのが実感です。もちろん、経験知や知識・理論もとても重要で、知識や経験からの仮説を立て、それを頭の片隅にもちつつも、それよりも大事にすることがあるということなのです。

 

では、何を大事にするかというと、クライエントさんの話し、セッションの中で時折出てくる深いところからの微かなサインです。それは、身体感覚として現れるときもあれば、イメージ・シンボルといった形で現れることもあります。

 

クライエントさんは、「今日は違う話しをするつもりで来たのに、まさかこんな話しになるなんて思いもしなかった」と驚かれますが、もちろんそれは私が誘導したわけでもなく、慎重にそのセッションの中に存在しているそうした微かなサインを辿っていくと、思いがけない場所に辿り着くのです。

 

それはまさに「何が起こるべきなのか、セッションは知っている」という感じであり、それに対する信頼を持ち、そのサインに耳を傾ける姿勢を持つことが重要だと思っています。これは、別の言い方をすると、「サイキ(魂)への信頼」と言えるかも知れません。

 

アインシュタインの名言に「いかなる問題も、それを作り出した同じ意識によって解決することはできない」という言葉がありますが、これは心にも当てはまることではないかと思います。

 

ではいまの自分の意識から、より深い意識にどうアクセスするか。その鍵となるのが、この魂への信頼です。

 

ユングは、私たちの中にサイキ(魂)があるのではなく、私たちが魂の中にあるのだ、と表現しました。このサイキは、別の言葉で言うとアニマ・ムンディ(世界魂)です。私たちは、大いなる魂のうちに存在しているのです。

 

自分の小さな知識に頼るのではなく、より大いなる叡智に耳を傾けることの重要性は、恐らく多くのプロフェッショナルが実感していることではないでしょうか。

 

知り合いのロルファー(ボディーワークの一種です)の方は、手をクライエントの筋肉の上に置いたときに、施術者である自分がどちらに動かしたいかではなく、その人の筋肉がどこに動きたがっているのかを感じ取って、その方向に進めるようにちょっとだけサポートすることが自分の役割だとおっしゃっていました。そこには身体知というより大きな叡智への信頼があります。

 

カウンセラーの役割も似ているところがあります。その人の心の深いところ、つまりその人のたましいが、どこへ向かおうとしているのかを、全身を耳にして必死に聴き取り、少しだけそれをサポートする。それは、簡単なことではありませんが、そんな風に深いところでクライエントさんと対話ができることを願いながら、精進する日々です。

 

そんな訳で、これからこのブログで何を書く必要があるのか、“The blog knows”(ブログは知っている)の感覚のなかでやっていこうと思います。

2018年12月04日 16:43

カウンセラーがブログを書くということ

ブログを開設することになりました。

 

これを読んで下さる方のなかには、これからカウンセリングを受けようと考えていらっしゃる方がいるかも知れません。

 

想像できないもの、イメージできないものって、怖いですよね。分からないからこそ飛び込めることもありますが、少しでもイメージできると安心して進めることの方が多いのではないかと思います。

 

そして、多くの方にとってカウンセリングは未知の世界ではないかと思います。そんな方のために、少しでもカウンセリングの雰囲気、カウンセラーの視点などが伝われば幸いです。

 

一方、ブログを書くことには今も躊躇があります。自分のこの躊躇する気持ちが何処から来るのかをみてみると、カウンセラーの自己開示にかかわる懸念から生じているのが分かります。

 

私は精神分析医ではありませんが、精神分析の創始者フロイトは「匿名性の原則」を唱えていました。

 

それは、「分析家とはクライエントの心を映し出す鏡のような透明な存在であるべきで、分析家のプライベートな情報や私的な見解をクライエントに伝えるのは控えるべきである」、という考えです。

 

こうした古典的理論は議論がすすみ変わってきてはいますが、やはり原則的には、カウンセラーの自己開示はクライエントにとって役に立つ限りにおいて必要最小限にとどめる方が良いと個人的には思っています。

 

自分自身のカウンセリング体験を振り返っても、カウンセラーの個人的情報・背景について何も知らない時と、知ってしまった後では、話す内容が微妙に変わってしまった経験があります。知ってしまうと遠慮して言えなくなること、知らないから言えることがあることを実感しました。

 

(そこには、私自身の対人関係のパターンが現れていて、そうした「言い辛さ」を話し合っていければ、それはとても有意義なものになるのですが、「言い辛い」ということが言えるような信頼関係を築くまでには時間がかかります。)

 

ちなみに、こうしたクライエントとカウンセラーの間に生じる感情は、カウンセリングにおいてとても大事なもので、私自身も、こうした微妙な感情を、適切なタイミングで丁寧に取り上げていくことを心がけています。もちろん見逃してしまうこともあるのですが、鍵となる大事な感情は何度でも現れてくるものです。

 

一方で、様々なカウンセリングのアプローチがあるなかで、自分はどんな立場に立っているのか、どんな人間観、世界観をもちカウンセリングを行っているのかということを明らかにしていくのは、カウンセラーの側の課題であるとも思っています。

 

そんなわけで、このブログでは自己開示については慎重に、カウンセリングや心理学、ホリスティックヘルス、スピリチュアリティにまつわることを、のんびりと綴っていきたいと思っています。

 

これから、どうぞ宜しくお願い致します。

 

2018年12月01日 00:00

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