プライドと自己愛
プライドが邪魔をする
前回のブログでは、「非合理的信念」が私たちを苦しめているという
お話しをしました。
「自分はいつも必ず上手くやらなければならない、そうでなければ、自分はダメ人間だ!!」
「人はいつも必ず自分に優しく、平等に扱い、親切で、礼儀正しくなければならない、そうでなければ、みんなろくでなし」
「人生はいつも必ず自分の思い通りになるべきで、そうでないなら、耐えられない」
と思っている方が目の前にいたら、
少しプライドが高いと感じる方もいるかも知れません。
ちょっとした自分のミスを許せなかったり、
自分に少しでも失礼な態度を取る人を許せなかったり、
自分にとって都合の悪いことが起きることを受け容れないのは、
プライドが高いようにも感じてしまいますよね。
自分のプライドが邪魔して自由に行動できない、
自分のプライドゆえに自分にも他人にも厳しくなってしまうという経験は、
誰にでもあるのではないかと思います。
けれど高すぎるプライドの背景には、
とても苦しい「自己愛の傷つき」が隠れていることがあります。
自己愛とナルキッソス
「自己愛」は、ギリシャ神話のナルキッソスに由来する、
英語のNarcissism(ナルシシズム)を日本語に訳したものです。
美しい青年ナルキッソスに恋をしたエコーは、
ゼウスの怒りをかったために、自分からは話しをすることが出来ず、
相手の言葉を繰り返すことしか出来ません。
自分からは話しかけられないエコーを、
ナルキッソスは冷たくあしらいます。
傷ついたエコーの恨みを聞き入れた復讐の女神ネメシスによって、
ナルキッソスは水面に映る自分自身に、
決して叶うことのない恋をしてしまいます。
そんなナルキッソスに由来するナルシシズムは、
「自分自身に対する関心の集中」の現れです。
健全な自己愛と、不健康な自己愛
ただ、この「自分自身に対する関心」には、二つの種類があります。
一つは、健全な「本来の自分自身に対する関心」で、
自分が何をどう考え、感じているのかといった関心で、
内省を可能にするものです。
またこうした健全な自分自身にたいする関心は、
Self-love(セルフ・ラブ)や自尊心といった
健全に自分を愛することができることの基礎にもなります。
一方で、「他人がもつ自分に対する評価への関心」があります。
これは、本来の自分自身というよりも、
「他者に映し出されるイメージとしての自分」に対するこだわりです。
この他者が持っている自分のイメージや評価に関心が集中してしまうと、
本来の自分からはどんどん疎外されていき、
自分が本当はどんな風に思っているのか、
感じているのか分からなくなってしまいます。
また他者による自己評価は、
自分ではコントロールできないものですから、
不安がなくなることはありません。
こんな風に他人からの評価に依存してしまうようになるのは、
やはり小さい頃の苦しい体験があります。
ナルシシズムの方は、
ナルシシズムの苦しみをもった親が背後にいることが多いのです。
自分に感心を向けてもらえないエコーが、
自分から、自分の話しをすることができなかったように、
ナルシシストの前では、
その人は存在することが出来ないのです。
ナルシシストの親の前では、
本来の自分自身に関心を持ち、
健全な自己愛を育てることは難しくなってしまいます。
すると自分の価値を他者からの評価に依存せざるを得ないのです。
多くのクライエントさんは、
子どもの頃に自然に持つ
「ちゃんと自分を見て欲しい」
「ちゃんと自分の話しを聴いて欲しい」
という自然な欲求が満たされなかった辛さを感じたくないために、
その欲求を自分が持っていることを
否定してしまっていることが少なくありません。
だからこそ、その否定を取って、
自分のなかにあるそうした自然な欲求を
認められるようになることは、
カウンセリングにおける一つの課題となります。