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天岩戸神話とコロナ明け

天照大御神

枝年昌 / Public domain

日本では、ようやく非常事態宣言が解除されました。ホッとされている方も多いのではないかと思います。

 

けれど、いま、精神科医や心理士など、多くのメンタルヘルスに関わる人たちが気にかけていることがあります。

 

それは、「荷下ろしうつ」と呼ばれるものです。

 

荷下ろしうつとは、一生懸命に頑張った後に、ドッと疲れが出ることで生じる抑うつ症状のことです。

 

通常、頑張っている最中というのは、必死なものですから疲労に気づきにくくなります。

 

また、ストレス反応には①警告期、②抵抗期、③疲はい期、という三段階があって、ストレスを感じてから直後は様々な身体的・精神的なストレス反応がありますが、少し経つと一時的に抵抗力が強まって、何事もなかったかのように過ごせてしまいます。けれど、その状態が長期化すると、一気にダメージが押し寄せてくるのです。

 

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緊急事態宣言発令中は、皆さん、意識的、無意識的に強い緊張を感じていたことと思います。

 

気にしなければいけないこと、やらなければいけないことが急に増えて限界を感じながらも、自分がやるしかないと走り続けた方も多かったことと思います。

 

睡眠不足や体のだるさや痛みをぼんやりと感じながらも、それどころではないと頑張って来られたと思います。

 

そうして抱えてきた疲労が、気が緩むことで一気に押し寄せて来るのが今の時期です。

 

 

けれど、どうぞこれをネガティブに捉えないでください。これは私たちの命を守る、とても大事なサインなのです。

 

何のサインかというと、「あなたは十分頑張りました」というサインであり、「あなたには休息、セルフケアが必要」というサインです。

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もしも睡眠時間が確保できていなかった方は、まずは眠りましょう

 

神経が高ぶってしまって眠れない場合には、市販の睡眠導入剤などの助けを借りる方法もありますし、メラトニンという睡眠ホルモンが夜にしっかりと放出されるように、朝の光を浴びるようにして、夕方以降は家の中の明かりを少し薄暗くしておくのも大事です。

眠る前に、濡れたタオルをレンジで温めてホットタオルを作って目の周りを温めることで副交感神経が優位になりリラックス出来ますし、皮膚温が上がることで、カラダの熱の放熱が促されて眠気も感じやすくなります。

 

 

また、カラダの筋肉の緊張をほぐしていくために出来ることもやってみてください。

 

筋肉にはフィードバックシステムがあり、筋肉に力が入って緊張していると、自律神経に影響を与えます。

 

ですから、出来るだけ筋肉の緊張をゆるめていくことが重要です。

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首や肩の緊張奥歯の噛み締め腕の緊張お腹の緊張など、ストレスを感じると力が入りやすい部位を中心にゆるめていきます。

 

入浴剤などを入れてぬるめのお風呂に浸かるのも良いですし、先ほど同様、濡れたタオルをレンジで温めたホットタオルで首や肩を温めることで血流を良くする方法もあります。

ストレッチで伸ばしたり、マッサージなどでもみほぐすのも良いです。

 

そして、忘れてはいけないのが、心の緊張を解くこと

 

そのヒントを探るために、日本の神話である天岩戸神話を見てみたいと思います。

 

 

天岩戸神話

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Public domain
 

古事記には、弟である速須佐之男命(はやすさのおのみこと)が乱暴を働いたことを見て畏れた天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、天岩戸に引き篭もってしまうことで世界が闇に包まれてしまう、という神話が出てきます。

 

太陽神である天照大御神が隠れてしまったことで、天上世界である高天原(たかあまのはら)は暗黒となり、地上の葦原中国(あしはらのなかつくに)も、真っ暗闇になってしまいます。

 

夜ばかりが続き、神々の騒がしい声がまるで五月の蝿のようにみち広がり、万物の災いがいっせいに起こります。

 

困った八百万の神々は高天原の河原に集い、どうしたものかと相談し、様々な儀式を行うことにしました。

 

と、勾玉で出来た一連の数珠を作らせ、榊(さかき)の木の枝に、その鏡と数珠と祭具を垂らして下げ立派な捧げものとして奉り、祝詞をとなえます。

 

天手力男神(あめのたぢからおのかみ)という怪力の神さまが岩戸のそばに隠れて立ち、

 

天宇受売命(あめのうずめのみこと)は、桶をふせてその上に乗り、神がかったように胸をあらわにし、裳という腰から下の衣服を陰部まで押し下げて踊ります。

 

するとそれを見た八百万の神々は、高天原が鳴り轟くように一斉に笑いました。

 

岩戸の外の盛り上がりを不思議に思った天照大御神は、思わず岩戸を少し開けてしまいます。そして天宇受売命に、「なぜ天宇受売命は舞い遊び、八百万の神々は笑っているのか」と問います。

 

天宇受売命は、「あなた様よりも貴い神がいらっしゃっているので、喜び、笑い舞い遊んでおります」と答えると、別の神様が先ほどの鏡を差し出します。

 

鏡に写った自分の姿をその貴い神だと思った天照大御神は、ますます不思議に思い、そろそろと岩戸の戸口から出てきたところを、そばに隠れていた天手力男神がその手を取って引き出してしまいます。

 

こうして無事に世界は、光を取り戻したのです。

 

笑い、好奇心、太陽の光

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さて、「笑う」は、「割る」に通じるものです。

 

岩戸を破り、闇を割ることが出来たのは、笑いです。

 

この天岩戸神話と共通したモチーフは、ギリシャ神話にも見られます。

 

ペルセポネーを冥界の王ハーデースにさらわれた豊穣の女神であるデメテルは、娘を探してさまよった後に、エレウシスにある井戸のそばに座り込んでしまいます。

 

誰もデメテルを慰めることが出来ずにいるなか、性器を象徴する女神と言われるバウボがきて、卑猥なダンスを踊ると、デメテルがつい笑ってしまうのです。

 

神話学者のキャンベルは、これを「卑猥さやわいせつ性が、これまでとは別の視野を与える」と表現しています。さらに、「こうしてあなたは、でき上がった人間の領域から離れ、創生や再創造の自然力学のなかで、悲嘆という束縛から解放されるのです」と言います。

つまり卑猥さやわいせつ性というものには、自己超越させる力があると言うのです。

自己超越とは、時間や空間に制約された生活の現象面を超えた深遠なる存在の本質への超越です。


笑いにもまた、そうした自己超越の力があります。

 

さて、話しが横道にそれてしまいましたが、ここでコロナ明けに話しを戻しましょう。

 

長いこと自粛して篭っていた私たちには、今こそ「笑い」の力が必要ではないかと感じます。

私たちも、この疲労感や抑うつ気分を、闇を「割る」ために、たくさん笑いましょう

もちろん、日常のなかで面白くて、楽しくて笑ってしまう場面があれば、それは素晴らしいことですが、

「笑う時間」を自分で作ることも出来ます。

お笑い番組、落語、コメディ映画などを観る時間を作って、たくさん笑ってください。
 

そして、天照大御神が鏡で自分の光を見たように私たちにも太陽光が必要です。

体内時計をリセットして自律神経を整えるためには、光がもっとも大事な要素です。

晴れて太陽が降り注いでいる日の野外は1万ルクスほどの光量があるのに対して、室内の蛍光灯など光量はその20分の1から10分の1程度しかありません。午前中に出来るだけ外で太陽光を浴びるようにしてお過ごしください。


もう一つは好奇心です。
 

天照大御神は、自分の好奇心によって外に出てきたのです。
 

外の世界の、面白そうなこと、好奇心をそそられることに意識を向けてみてください。

 

2020年05月31日 13:14

神話の終焉と神話を生きるということ

スカイツリーと夕焼け

スターウォーズの完結

2019年12月20日に日米同時公開というかたちで、スターウォーズ エピソード9が公開され、ジョージ・ルーカスが構想した9作にわたるスカイウォーカー一族の壮大な物語が、42年の時を経て完結しました。

 

現代の神話とも言われるスターウォーズの時代背景などを振り返りながら、私たちは今、どんな時代を生きているのかを考えてみたいと思います。

 

映画には、その時代の文化や精神の在り方が表現されます。それは、その時代の主流となる文化的慣習であることもあれば、主流となる価値観や行動規範とは大きく異なる、いわゆるカウンターカルチャー、サブカルチャーであることもあります。

 

スターウォーズ旧三部作の最初の作品が作られた1970年代後半とは、どんな時代だったのでしょうか。

 

1960年代に起きたアフリカ系アメリカ人による公民権運動、ケネディ大統領の暗殺、ベトナム戦争の拡大と深刻化から、1970年代始めのオイルショックと不況、そしてベトナムからの撤退といった暗い出来事が続き、

1970年代後半のアメリカは挫折し、傷つき、疲弊していた時代と言って良いのではないかと思います。

 

またフランスで起こったヌーベルバーグの流れを受け60年代半ば以降のアメリカではニューシネマの動きが起こり、ベトナム戦争など当時の政治状況に対する失望と反発を表現した反権威主義的な映画が多く作られました。

 

ジョージ・ルーカスも始めはそうしたニューシネマの担い手として映画を作り始めますが、映画のなかで現実世界を見せることではなく、”set standards” (基準を設けること)、そして”modern use of mythology” (現代における神話)の重要性に気づき、スターウォーズを製作することになります。

 

ヨーダと東洋の叡智

この新しいstandards「基準」を設けること、つまり混乱の時代において生きるためのガイドラインのようなものを、ルーカスは東洋的な宇宙観に求めました。

 

その背景には、1960年から70年代に潜在的に発展していたニューエイジ運動があります。ニューエイジ運動とは、宇宙や自然といった個を超えた大いなるものとの繋がり、また人間の持つ無限の潜在的な能力に注目し、個人における霊性を向上させていこうとする試みでした。

 

こうした背景のもと、インド、中国といった東洋的な哲学や思想がアメリカ文化に影響を与えます。スターウォーズでもキリスト教的な人格神は描かれず、むしろ東洋的な宇宙観が見られます。

 

登場人物たちは、困難を前にして神に助けを祈ることはなく、フォース、つまり宇宙に遍在する集合的なエネルギーとのつながりによって、自分の進むべき道を見つけていきます。

 

仙人のようなヨーダの言動には、道教的な思想が色濃く見受けられます。ヨーダは、善悪ではなく、陰と陽、光と闇のバランスの重要性を説きます。

 

エピソード3の終わりに、闇の帳が降りたことを感じたヨーダは、再び光が伸びていく「時」が来るまでは、いったん身を潜めると決めたように、「時」を重要視するのも東洋的な思想の特徴です。

 

「四書五経」の一つである「中庸」の中に、次のような言葉が出てきます。

 

「君子而時中(君子はよく時中す)」

 

「時中(じちゅう)」とは、時(とき)に中(あたる)、物事における最善のタイミングにピタリと合わせることです。天の動きに逆らうのではなく、その動きに沿って動くことが出来るのが君子だと言うのです。

 

つまり、むやみやたらに行動を起こせば良いのではなく、諸葛孔明が赤壁の戦いで北西の風から東南の風へと変わる、その時に火を放つ事で勝利を得たように、「時をよく読み」、その時が来るまでは身を潜め、その時が来たら必要な行動を素早く起こすことができるのが君子です。

 

物事が動くときには、必ずその兆しがあります。普通の人が気づくことのない微かな変化の兆しを、心の目と耳で捉えることが出来る人が、君子でありジェダイなのです。

 

この変化の兆しを読み取るために古代中国で発展したものが、「易(えき)」です。易の経典である「易経」は英語では”Book of Changes”(変化の書)と呼ばれます。

 

易はいわゆる占いの一つと見なされていますが、「易経」は、「四書五経」の一つであり、君子が修めるべき哲学書でもあります。

 

この「易経」の中に、「窮すれば通ず」という言葉が出てきます。

 

「窮」は「九」であり、九は易では「老陽」にあたり、陽の極まりを意味します。窮地に陥ることはネガティブなことのようですが、窮することこそ状況を打開するための道です。

 

冬の間、死んだように見える植物たちは、冬が極まったのちに春が来て再び芽吹きます。

 

陰が極まった時に陽が生じ、陽が極まった時に、陰が生じるのです。闇が極まった時にこそ光が生じる、この闇と光、陰と陽の絶えざる循環が東洋の思想です。

 

ルーカス無きシークエル・トリロジー

半世紀前に制作されたエピソード4の背景に、ベトナム戦争や体制への幻滅と、ニューエイジ運動などの個人の意識の再生のための試みがあったのならば、現在はどうなのでしょう。

 

エピソード7から9までの製作事情に、現代の精神の在り方が垣間見られるかも知れません。

エピソード4から6までの旧三部作、エピソード1から3までの新三部作はジョージ・ルーカスのオリジナルな構想に基づいて製作されましたが、その後作品の権利と制作会社はディズニーに買収されてしまいます。

つまり、エピソード7から9までのシークエル・トリロジー(続三部作)は、もはやルーカスの構想には基づいていないのです。

 

原作者であるルーカスのいないエピソード7から9は、「スターウォーズらしさ」というイメージに振り回され、スターウォーズ旧三部作をなぞるかのような作品になってしまいました。

 

時代の最先端の技術を用い東洋の伝統的思想を取り入れるという、まったく新しいものをクリエイティブに作り出していった、未開の地に果敢に挑んでいくというルーカスの真に英雄的な精神は失われて、既にあるものをコピー&ペーストして違ったもののように見せるという保守的な態度が見られます。

 

もちろん、新しい試みもありました。分かりやすいところでは、ジェダイナイト、主人公が女性になり、世界のボーダレス化、グローバル化を反映するように、主要なキャラクターたちのエスニシティや肌の色が多様化されました。

 

けれど、この多様性の表現は、真に新しいものや世界観を表現しようとする試みというよりも、観客が見たいものを見せるというとても表面的なものに留まっているということも現代社会を象徴しているのかもしれません。

 

例えば、エピソード8で非白人女性として初めて、ローズ・ティコというメインキャラクターを演じたベトナム難民を両親にもつベトナム系アメリカ人であるケリー・マリー・トランが、映画公開後にソーシャルメディアで彼女の人種や外見に関する差別的な攻撃を受けるという出来事がありました。

その後のエピソード9では、ローズ・ティコはほんの少し映る程度のポジションに戻されてしまいます。

 

映画が一部の人たち、特にソーシャルメディアが作り出す世論に影響を受けるというのも、現代を反映しているのかも知れません。

 

ヘルメス元型と現代

エピソード9については、様々な批評がありますが、特に印象に残ったのは、シカゴ・トリビューンの次の批評です。

 

”エイブラムズ監督は宇宙レースに火をつけただけで、キャラクターの感情をどこにも着地させなかった。なぜならキャラクターは宇宙中を駆け巡りお互いを探し合うのに忙しかったからだ”

 

個人的には、これは非常に的確に現代の私たちの精神の在り方、背後にある一つの元型、ヘルメス元型を表現しているように感じました。

 

ギリシャ神話のヘルメスは、生まれてすぐに自分に必要なものを交換によって手に入れた商才のある商業の神であり、各地を飛び回る旅の神でもあります。そして、何よりも神の伝言を伝える使者であり、伝令の神、メッセンジャーです。
 

ヘルメスは手にケーリュケイオンという黄金の杖を持ち、翼のついた靴を履き、風よりも早く馳けめぐります。

計略の神でもあるヘルメスは、様々な才能を持ち、神々の伝言を伝えますが、彼自身には伝えるべき内容がありません。ただ、情報を運ぶだけです。

 

現代の神は経済だ、と言う方もいる程に、経済を中心にすべてがまわり、インターネットによってあらゆる情報が風よりも早く瞬時に世界中を飛び交い、2000年には6億8700万人だった世界の旅行者数は、2019年には14億人を突破しました。

 

IT技術の進化によって、世界の何処にいても仕事ができ友達と話すことが出来るようになり、特定の場所に縛られることなく、自由に動き回ることが出来る恩恵を手にした一方で、私たちは、何処にも本当の居場所が無くなってしまったのかも知れません。

 

日常的に大量の情報が飛び交い、そうした情報が私たちを通り過ぎていきます。私たちは、そうしたインフォメーションがただ通り過ぎていくだけのステーションのような存在になり、本当に伝えるべきものを無くしてしまっているのかも知れません。

流入する大量の情報を処理し追いかけるのに忙しくて、自分にとって本当に大事な情熱を忘れかけてしまっているのかも知れません。

 

ギリシャ神話では、ヘルメスという常に動き回る旅や伝令の神だけでなく、常に家の中心に居て、そこから動くことのないヘスティアという炉、竈(かまど)の女神が大変重要視されていました。

 

ヘスティアは、家庭の守護神であり、国家統合の守護神でもありました。ヘルメスには、ヘスティア、つまり不動の内なる炎を護る神も一緒でなければなりません。
 

”Follow your bliss”「あなたの至福に従え」

ルーカスはジョゼフ・キャンベルの英雄神話の研究に基づき、サーガを構想しました。けれど、もちろんキャンベルは、ディズニーに儲けさせるために神話の研究をしたわけではありませんし、ルーカスもまた大儲けするためにスターウォーズを製作したのではありません。

 

キャンベルもルーカスも、従うべきは”your bliss”「あなたの至福」だと私たちに語りかけていました。

 

”Follow your bliss  and the universe will open doors where there were only walls.”
「あなたの至福に従いなさい。そうすれば、宇宙は壁しかなかった所に扉を開けてくれるでしょう。」

 

それがキャンベルの伝えたかったことであり、ルーカスのしたことでした。


キャンベルは言います。
 

「人々は、物事を動かしたり、制度を変えたり、指導者を選んだり、そういうことで世界を救えると考えている。

 

違うんです!生きた世界ならば、どんな世界でもまっとうな世界です。

 

必要なのは世界に生命をもたらすこと、そのためのただ一つの道は、自分自身にとっての生命のありかを見つけ、自分がいきいきと生きることです。」

英雄とは、生命力が枯渇してしまった荒れ地に、再び命をもたらすことのできる存在のことです。

スターウォーズが完結した今、ルーカスやキャンベルが私たちに残してくれたメッセージをもう一度思い出し、

他人の生き方のコピー&ペーストでもなく、

他人が求める生き方でもなく、

自分の世界に、自分にとっての生命のありかを見つけ、

自分がいきいきと生きること。

それこそが、英雄的生き方であり、神話を生きることではないかと思います。

2020年02月01日 13:30

シャルトルのラビリンス

大聖堂の天井画

The Labyrinth of Cathédrale Notre-Dame de Chartres
 

パリのノートルダムが初期ゴシック建築の傑作なら、クラシカル・ゴシックの最高傑作はフランス中部にある都市シャルトルのノートルダム大聖堂です。
 
11世紀初めにロマネスク様式で建てられたシャルトルのノートルダム大聖堂は、12世紀末に一度火災によって焼け落ち、ゴシック様式で再建されたのです。
 
中世では、巡礼者のために床にラビリンス(迷宮)が描かれる大聖堂が現れましたが、このシャルトルの大聖堂の床にも、ラビリンスがあります。
 
ラビリンスは迷路と間違えられやすいのですが、実は全く別の構造です。
 
ラビリンスと聞いて、クレタ島クノッソス神殿のラビリンスを思い出す方もいらっしゃるかも知れませんが、
 
まさにこのクレタ島のラビリンスの紋章であるLabrys(両刃の斧)がLabyrinth(ラビリンス)の語源であったという説もあります。
 
クレタ島にあるラビリンスは、いわゆる迷路のような通路が入り組んでいるような建造物ではなく、分岐のない一本道がグルグルと続いているのですが、
 
これこそが、ラビンリスの特徴です。
 
ラビリンスでの通路は決して交差せず、道に選択肢はありません。
 
そして、グルグルと一本道を辿っていくと、何度も中心の近くを通りすぎることになります。
 
つまり、幾度もついに中心に辿り着いたかと思いきや、まだまだ道のりは続いていくのです。
 
すると一本道なのに、自分がまるでどこかで道を間違えたかのような不安を感じはじめ、何度も何度も中心に辿りついたかと思ったらやっぱり違ったとがっかりすることになります。
 
けれどその道は実際に中心へと通じていて、必ず中心に辿りつけるのです。

中心に辿り着く以外の選択肢はないのです。
 
そしてその一本道を辿っていくことで、その空間内のすべてを通る、すべてを体験するような設計になっているのです。
 

アリアドネの糸

 
何か複雑な物事を解決する際に、「糸口を探す」「手がかりを探す」と言いますが、
 
英語では「糸口」「手がかり」は、clueです。
 
もともとclueは糸玉、つまり糸をグルグルと巻いてまるめたボールを意味していました。
 
そして、この糸玉は、アリアドネの糸玉のことです。

アリアドネとはミノス王の娘です。
 
クレタ島のミノス王は、自分の后パシパエが美しい白い雄牛と交わり産んだ、牛の頭を持つミノタウロスを、
 
名工ダイダロスに建造させたラビリンスの奥深くに閉じ込めます。
 
そして、成長し凶暴になったミノタウロスの食料のために、9年毎に7人の少年と少女を生け贄として捧げていましたが、
 
あるときアテナイの英雄テーセウスがこの生け贄に自ら志願し、クレタ島にやってきます。
 
テーセウスに恋したミノス王の娘アリアドネは、彼にラビリンスから脱出するための糸玉を渡します。
 
こうしてテーセウスは、ラビリンスでミノタウロスを倒し、アリアドネの糸を辿って無事にラビリンスから脱出することに成功するのです。
 

シャルトルのラビリンス

 
シャルトルのノートルダムのラビリンスは、11の同心円からなり、その中心には6枚の花弁を持つバラが描かれています。
 
バラは、大いなる自己、セルフの象徴です。
 
つまり、ラビリンスは、真の自己への回帰を表現しているのです。
 
中世ヨーロッパでは、個人としての巡礼者が、世界・宇宙の創造主であり中心である神との合一を目指す、瞑想の一つの方法としてこのラビリンスを用いていました。
 
ラビリンスは人生の道のりにも似ているし、何かの物事を行ううえでのプロセスにも似ているのではないでしょうか。
 
必ず中心に辿り着くことを信じたいけれど、
 
幾度も間違えたのではないかという不安にふるえ、
 
もう辿り着けないかも知れないと恐怖に戦きながら、
 
それでも微かなアリアドネの糸を辿って進んでいく。
 
カウンセリングも、そんなプロセスにどこか似ています。

セッションのなかに立ち現れてくるアリアドネの糸を一緒に辿りながら進んでいきます。

クライエントの脳裏には、何度も、何のためにこんなことをしているのだろうと疑問がよぎります。

もう中心に辿り着いたかと思うと、それはまだ途中でしかないことが分かり、がっかりしてしまいます。
 
カウンセリングでは、途中で休憩してもいいし、どこまで進みたいかは自分で決めてよいことだと思います。
 
必ず中心に辿り着かなければならないこともないでしょうし、
 
自分で進む意図も無いのに進んでいる方もいるでしょう。
 
それでも、人生のラビリンスでは、今日も、呼吸をし続けることを選んでいるのであれば、
 
あなたはラビリンスを進んでいるのだと私は思います。
 
そして自分で意図しなくても呼吸をし続けられているのであれば、
 
それは大いなる自己が、あなたがラビリンスを進むのを後押ししているのではないかと思います。
 
 
2019年05月03日 18:02

傷を負った英雄

白馬の風景

英雄元型を超えて


少し間が開いてしまいましたが、前回は3回に分けてヒローズジャーニーのお話しをしました。
 
さて、この英雄的な在り方は、ひとつの元型です。
 
それはつまり、英雄的な在り方は一つのパターンであり、限界があるということです。

それだけでは全体的ではないのです。
 
実際、現実の世界で英雄的元型を生きている方には、
 
多くの盲点も苦しみもあります。
 
英雄は、問題にぶつかるとそれを「解決」するために勇敢にも「行動」します。
 
「強い意志」で、目標や目的に向けて「前に進み」、
 
目的を達成するために敵や問題に「立ち向かって」いきます。
 
そして敵と「戦い」、勝利して、宝を手に入れることもあれば、

戦いにおいて美しく死んでいくこともあります。
 
英雄は、未開の地へと、果敢に船出して、
 
そこで出会うものたちを「征服」していきますが、
 
そうなるとそこで出会うものは、「自己の延長」に過ぎません。
 
英雄的在り方では、「自己を拡大」してしまうだけで、
 
本当の意味で「他者」と出会うことは難しいのです。
 

英雄のシャドウ


そんな英雄の影(シャドウ)は、傷つき、苦しみや痛み、無力感を持ったものです。
 
ユングは、光が当たるところには必ず影ができるのと同様に、
 
自分が「意識的に生きられている側面」には、
 
必ず「生きられていない側面」があるといい、
 
そうした側面を影(シャドウ)と呼びました。
 
そして、その影との出会いという「狭き門」をくぐり抜けていくことで、
 
自分が本当に誰であるのかを知ることが出来ると言います。
 
トロイア戦争をうたったホメーロスの叙事詩「イーリアス」には、
 
英雄アキレウス(Ἀχιλλεύς)が登場します。
 
女神テティスを母に、人間の王を父に持つ英雄アキレウスは、
 
かかと、つまりアキレス腱だけが不死ではないという弱点を持っていました。
 
そのアキレウスは、トロイア戦争のときに敵方の王子パリスにかかとを射られて、
 
瀕死の重傷を負い、死んでしまいます。
 
そんな風に傷を負った英雄というのは、死んでしまうことがほとんどですが、
 
傷を持ったまま生きた、あまり知られていない英雄がいます。
 

Wounded Hero Philoctetes

 
同じくトロイア戦争のお話になりますが、トロイア遠征に参加した
 
弓の名手として知られる英雄フィロクテテス(Φιλοκτήτης)です。
 
フィロクテテスは、遠征の途上で足を蛇にかまれてしまいます。
 
その傷からは腐臭がするようになりました。
 
その腐臭に耐えられなくなったギリシャ軍によって、
 
彼はレムノス島に置き去りにされてしまいます。
 
傷を負った英雄フィロクテテスが、無念にも戦線から離脱し、
 
仲間に置き去りにされてしまうのは、どれほどの苦悩と苦しみがあったことでしょう。
 
彼を置き去りにしたギリシャ軍は、その後トロイ戦争で苦戦します。
 
とても興味深いのは、ギリシャ軍はそのレムノス島に置き去りにされた
 
フィロクテテスなしには勝利をあげることが出来ないという予言を授かり、
 
彼を連れ戻し、もう一度参戦して欲しいとフィロクテテスの説得に向かうのです。
 
こうして戦線に戻ったフィロクテテスは上述のトロイの王子パリスを
 
得意な弓で射殺すことに成功します。
 
英雄の傷が、みな足にあるというのも、とても興味深いですよね。

英雄は遠い地、ここではない何処かを目指しますが、
 
自分の足元に目を向けること、
 
地に足をつけること、
 
いまここ、現実に意識を向けよ、ということでしょうか。
 
もしあなたが、これまで目標を明確に持ち、それを達成するために、
 
前だけを向いて問題や課題に果敢に立ち向かい、戦い、
 
征服するという英雄的旅路を続けてこられたのでしたら、
 
その旅路のなかで置き去りにされた、
 
自分のなかにいる、傷ついた「内なるフィロクテテス」に意識を向けることも、
 
英雄的生き方を超えた全体へと向かう、大事な旅の一部ではないでしょうか。
 
 
2019年04月18日 15:15

英雄神話の構造③

月の移り変わり

③Return リターン(帰還)

新しい世界で、至福と覚醒を手にした英雄は、
 
日常生活には戻りたいと思わないかも知れません。
 
それを手に入れて故郷に戻ることが本来の目的だったとしても、
 
元いた場所に戻ることは簡単なことではありません。
 
多くの英雄もまた、最初は帰還を拒絶します。
 
その理由は、故郷に胸を張って帰れるほどの戦利品がないことであったり、
 
その帰路の困難を思い心が挫けてしまうことであったりします。
 
特に、そこに辿り着くまでが困難な道のりであればあるほど、
 
また同じ苦しみを味わうのかと思うと辞退もしたくなりますよね。

しかし、それでも英雄はもとの世界に戻らなければならないのです。
 
ホメロス『オデュッセイア』のなかで、
 
トロイア戦争に勝利したイタケの王、英雄オデュッセウスが、
 
10年もかけて故郷イタケに戻る苦難の物語りを吟いました。
 
別世界にいることは、夢を見ているようなものです。
 
その夢が美しければ美しいほどそこから醒めたくないと思うものですが、
 
それでも夢から目覚め、日常世界に戻ってくる必要があるのです。
 
帰還なしには、旅は完結しません
 
そして帰還はまた、
 
旅によって、そしてイニシエーションによって変化した自分と、
 
自分の帰るべき日常世界との統合でもあります。
 
10年間のトロイア戦争と10年間の帰路の漂白のなかで、
 
風貌まで変化してしまったオデュッセウスもまた、
 
自分の帰りを信じて待っていた貞淑の妻ペネロペに
 
自分がオデュッセウスであると証明しなければなりませんでした。
 
また、英雄を捉えている別世界もまた、彼の帰還を阻止しようとします。
 
あちらの世界から脱出するために、英雄は時には呪術を使ったり、
 
外界からの救出が必要となったりします。
 
こうしてようやく日常世界に戻って来た英雄は、再生を果たします。
 
あちらの世界と、こちらの世界、両方を知っていること、
 
その両方を行き来できること、そこから自由であることは、
 
英雄に自由な生と価値観の超越をもたらします。
 

“英雄神話に潜む世界の母型”

 
松岡正剛さんは、キャンベルの功績は、
 
神話などの人間の物語りの根底にある母型を示したことだと述べています。
 
それは、“「眠り(闇)」と「覚醒(光)」の絶えざる循環”であり、

 
「個体(ミクロコスモス・部分・失われたもの・欠けたもの)」と、
 
「宇宙(マクロコスモス・全体・回復したもの・満ちたもの)」との対立と
 
融和と補完をめぐる母型
“であると言います。

 
私たち自身の生命が眠りに落ちて、朝目覚めるというリズムを繰り返すように、
 
精神、あるいは魂もまた眠りと覚醒のリズムを繰り返しています。
 
何かを失っては、またそれを回復するための心の旅があります。
 
大きな長い期間でのリズムもあれば、
 
毎日の生活のなかでの喪失と回復もあります。
 
らせんのように繰り返される、光と闇のドラマ。
 
それは終わることのない、私たちの人生のドラマです。

 
2019年02月28日 11:18

英雄神話の構造②

月の移り変わり

イニシエーションInitiation 

 

前回のブログでお話しした英雄神話の構造の続きです。

 

成人式とは、 「子ども」から「成人」になるための儀式ですが、

 

一般的には、こうしたある社会的カテゴリー(「子ども」)から、

 

別の社会的カテゴリー(「大人」)に加わることを許可するための、

 

一連の儀式的な行為のことをイニシエーションと呼びます。

 

更には、何らかの宗教的な団体に加入したり、

 

僧侶、シャーマンなどの何らかの職能集団に加入するときなどの儀式も、

 

イニシエーションと呼ばれます。

 

現在の成人式は単なる形式になってしまいましたが、

 

本当のイニシエーションには、多くの試練が待っています。

 

試練なくして、成長や変容はありえません。

 

ルークもまた、降りかかる様々な問題を解決し、

 

何度も絶体絶命の危機を乗りこえていきます。

 

ルークにとっては「普通の青年」から、

 

「ジェダイの騎士」になるためのイニシエーションです。

 

女神との遭遇

 

ルークがレイア姫に出会ったように、

 

英雄はイニシエーションにおいて、

 

女神・乙女あるいは聖母に出会うこととなります。

 

この乙女や女神は、英雄が試練を乗りこえた後に

 

手にすることのできる世界を象徴するものであり、

 

「母なるもの」との結びつきを絶ち、

 

それまで自分が慣れ親しんでいた世界からの自立を促してくれる存在です。

 

けれど、この乙女や女神とそのまま結ばれることはありません。

 

その前にやらなければならないことがあります。

 

誘惑する異性との出会い

 

乙女や女神と出会った英雄は、「母殺し」をしなければなりません。

 

ここで言う「母」とは実際の「母」というよりも、

 

「母なるもの」と言えます。

 

「母なるもの」は、育み、癒し、包んでくれるものであると同時に、

 

それは無意識の眠りへと飲み込んでしまうものでもあります。

 

英雄が英雄となるには、母性からの精神的自立が必要であり、

 

目覚めが必要です。

 

それは、様々な形の危険で英雄に襲いかかります。

 

ときに、全てを忘れさせるような誘惑的な女性との出会いであったり、

 

魔女から動物の姿に変えられてしまうような危険であることもあります。

 

身体的・物質的快楽に溺れて自分を見失い、

 

飲み込まれてしまうというのがここでの危機となります。

 

ルークは、レイア姫と出会った後、デス・スターのなかの

 

巨大なゴミ捨て場のなかで不気味な生き物に飲み込まれそうになりましたね。

 

父との一体化

 

誘惑する異性の試練を乗りこえた英雄の次なる試練は、

 

「父殺し」です。

 

ここでも、もちろん実際に父親を殺すのではなく、(そういう場合もありますが)

 

父親・父なるものと対峙し乗りこえることです。

 

本来、父や父なるものは畏怖や脅威の対象でもあり、

 

父なるものとの対峙とは、

 

英雄の人生で大いなる力を持っているものとの対決です。

 

ルークにとっては、ダース・ベイダーという恐ろしい父親との

 

対決と和解が待っていました。

 

こうして父と対峙したヒーローは、

 

世界に対するまったく新しい見方・叡智を手に入れます。

 

そして、これがこの先の冒険の困難に立ち向かうことを可能にしてくれます。

 

終局の報酬

 

こうしてジェダイの騎士となり、デス・スターを破壊することに成功し、

 

レイア姫を救ったルークは、

 

最後にレイア姫から勲章をさずかりました。

 

多くの英雄物語りでは冒険の末に、

 

そもそもの冒険の目的であった永遠の命を手にしたり、

 

永遠の命を与えてくれるようなエリクシールと呼ばれる

 

霊薬を手に入れることになります。

 

多くのアドベンチャー映画は、

 

敵を無事倒して報酬を手にしたところでエンディングとなりますが、

 

英雄神話では、この続きがあります。

 

それが、リターン(帰還)です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年02月14日 07:02

英雄神話の構造

月の移り変わり

3つのステージ

 

前回のブログでは、ジョゼフ・キャンベルがスターウォーズの構想に、

 

大きな影響を与えたというお話しをしました。

 

キャンベルの業績の一つは、

 

英雄神話・英雄伝説に共通する基本構造を明らかにしたことです。

 

それは、大きくまとめると以下の3つの段階があります。

 

①Separation 分離・旅立ち

 

②Initiation イニシエーション

 

③Return 帰還

 

①Separation 分離・旅立ち

 

遠い世界を夢見ながらも農場で平和に暮らしていたルークは、

 

偶然に購入したR2−D2というドロイドに潜んでいたレイア姫のメッセージを、

 

またまた偶然にも目にしてしまいます。

 

そして、そのメッセージをジェダイの騎士であるオビ・ワンに届けようとするR2に導かれ、

 

オビ・ワンに出会うことになります。

 

そして、彼からライトセーバーというルークが引き継ぐべき剣を渡され、

 

危機に瀕しているレイア姫と反乱軍を救うべく、

 

オルデランという惑星へと誘われます。

 

こんな風に、多くの英雄がメッセンジャーと出会うことによって、

 

旅立ちへの召命を受けます。

 

けれど、日常生活から未知の世界へと旅立つのは、

 

とても怖いものです。

 

ルークがそんなことは叔父さんが許してくれないと断ったように、

 

多くの英雄は最初その召命を辞退します。

 

すると、ルークの叔父さんと伯母さんは帝国軍に無残にも殺されてしまいます。

 

命を引き受けない英雄には、

 

旅立ちを追い立てるかのようなことが起きるのもまた、

 

英雄伝説のパターンです。

 

ルークはこうして、オビ・ワンと共にオルデランへと向かう決意をします。

 

自分に与えられた命を引き受けた英雄には、

 

自然のちからを越えた助けが与えられます。

 

こうした助けは、決して見るからに分かりやすい華々しい助けではなく、

 

どこかみすぼらしく取るに足りないものであることが多いものです。

 

そうしたものに、心を開き、助けを受け容れられることも

 

英雄の重要な要素です。

 

これまで親しんだ場所を離れ、異界に入るとき、

 

最初の境界を守るものとの対決があり、

 

自分の限界を超えることによって、その突破が起こります。

 

こうして英雄は、次のイニシエーションのステージへと入っていくのです。

2019年02月08日 03:16

“May the Force be with you!”(フォースと共にあらんことを!)

天の川

スターウォーズと英雄伝説

 

“May the Force be with you!”(フォースと共にあらんことを!)は、

 

スターウォーズという映画シリーズ好きなら誰でも知っている、有名な名台詞です。

 

このスターウォーズ・シリーズは、

 

ジョージ・ルーカスの構想に基づいた、スペース・オペラですが、

 

1977年のスターウォーズ エピソード4を皮切りに旧三部作が公開された後、

 

今もまだ続編が創られています。

 

そのジョージ・ルーカスが、

 

スターウォーズの構想を練るのにあたり影響を受けたのが、

 

Joseph Campbell(ジョゼフ・キャンベル)です。

 

ジョゼフ・キャンベルはアメリカの神話学者で、

 

彼の授業に出て感銘を受けたジョージ・ルーカスは、

 

後に、キャンベルの神話論の英雄伝説の基本構造をもとに、

 

スターウォーズという現代の神話を描き大ヒット作となりました。

 

ダース・ベイダーという現代人

 

そのスターウォーズに出てくるキャラクターの一人、

 

ダース・ベイダーという悪役がいます。

 

そのダース・ベイダーについてキャンベルは著書のなかで、

 

次のように言っています。

 

「ダース・ベイダーは自分の人間性を発達させてなかった。

 

彼はロボットだった。自分自身の意志ではなく、

 

押しつけられたシステムに従って生きる官僚だった。」

 

つまり、悪とは積極的なものではなくて、

 

押しつけられたシステムに盲目的に従ってしまうときにも起こるのです。

 

ユダヤ人で自身も迫害を受けたドイツの哲学者、

 

ハンナ・アーレントもまた同じことを述べています。

 

ナチスドイツの重要なポストにあり、

 

ユダヤ人の強制収容所への移送などに関わっていた

 

アドルフ・アイヒマンを裁くための裁判を傍聴したアーレントは、

 

そこで見た実際のアイヒマンに衝撃を受けます。

 

彼は決して愚かな人間でも極悪人でもなく、

 

有能で職務に忠実な官僚的人間だったのです。

 

彼はナチスに忠誠を誓い、命令を実行していたに過ぎなかったのです。

 

そのことをアーレントは、「悪の陳腐さ」と表現しました。

 

これは、現代人みなにとっての危険であり、

 

与えられた役割を忠実に守ることに誇りを感じる

 

私たち日本人にとって、とても怖い話しではないかと思います。

 

では、どうしたら自分自身も気付かないうちに、

 

この「悪の陳腐さ」に陥ってしまうのを避けられるでしょうか。

 

キャンベルは次のように言っています。

 

「自分の置かれた時代に人間らしく生きるすべを学ぶことです。」

 

「ルーク・スカイウォーカーがしたように、

 

システムがあなたをロボット扱いしようとするのを拒否することです。」

 

それは、決して簡単なことではありません。

 

多くの方が、会社や学校、家庭など、

 

自分の属する組織の求めることと、

 

自分自身の内なる声のあいだに、

 

葛藤を抱えながら生きていることと思います。

 

そんな葛藤を持っている時点で、

 

その人は既に英雄ではないかと、私は思います。

 

“May the Force be with you!”(フォースと共にあらんことを!)は、

 

そんな現代を生きるすべての英雄への、

 

激励のメッセージではないでしょうか。

2019年02月02日 22:20

アルテミス・ウーマン

鹿

神話の役割

 

元型心理学の創始者であるジェイムス・ヒルマンは、

 

神話について次のように言っています。

 

「神話の研究は、出来事がそれの神話的な背景に照らして認識されることを可能にする。

 

しかしながら、それよりも重要なことは、神話の研究によって、

 

魂の生活を神話的に知覚し経験することが可能になることである。」

 

そのクライエントさんは、ドイツ人の女性でした。

 

(ご本人の承諾を得て、個人情報は伏せた上で書いています)

 

彼女は、幼少期からとてもボーイッシュで、自立心旺盛な子どもでした。

 

男性に対して強い競争心怒りを持っていて、

 

女性を見下したり、単なる性的な存在として扱うような男性には、

 

烈火のごとく怒りをあらわしていました。

 

自分の人生における目標が明確で、

 

その目標に向けて次々に行動を起こしていきます。

 

物事を計画し、コントロールしないといられないところもありました。

 

彼女の悩みは、男性含め人と親密な関係を持てないということでした。

 

近くにいる人ほど、冷たく、嫌な対応をしてしまうのでした。

 

アルテミスとアクタイオーン

 

そんな彼女の魂の生活の背後には、処女神アルテミスがいました。

 

アルテミスは、ギリシャ神話に登場する処女神で、

 

狩猟を司る女神でもありますから、

 

狙った獲物は逃さず仕留めていきます。

 

森のなかの泉で水浴しているところを、

 

たまたま通りかかったアクタイオーンに見られたアルテミスは怒り狂い、

 

アクタイオーンを鹿の姿に変えてしまい、

 

彼が連れていた犬に襲わせて殺してしまいます。

 

そんなアルテミスと同様に、

 

アルテミス・ウーマンもまた、

 

自分の弱い面、素顔を見られることを恐れ

 

彼女のこころの柔らかいところに踏み込んで来る者には、

 

怒りという形で追いやらずにはいられませんでした。

 

そのクライエントさんは、長い時間をかけて

 

彼女のなかにいる「内なる少女」に出会っていきました。

 

その少女こそ、アルテミスが守っていた存在です。

 

アルテミス・ウーマンは、

 

自分もまた人を必要としていることを認識することで、

 

変わっていきます。

 

2019年01月29日 17:28

プライドと自己愛

水面に映る木々

プライドが邪魔をする

 

前回のブログでは、「非合理的信念」が私たちを苦しめているという

 

お話しをしました。

 

「自分はいつも必ず上手くやらなければならない、そうでなければ、自分はダメ人間だ!!」

 

「人はいつも必ず自分に優しく、平等に扱い、親切で、礼儀正しくなければならない、そうでなければ、みんなろくでなし」

 

「人生はいつも必ず自分の思い通りになるべきで、そうでないなら、耐えられない」

 

と思っている方が目の前にいたら、

 

少しプライドが高いと感じる方もいるかも知れません。

 

ちょっとした自分のミスを許せなかったり、

 

自分に少しでも失礼な態度を取る人を許せなかったり、

 

自分にとって都合の悪いことが起きることを受け容れないのは、

 

プライドが高いようにも感じてしまいますよね。

 

自分のプライドが邪魔して自由に行動できない、

 

自分のプライドゆえに自分にも他人にも厳しくなってしまうという経験は、

 

誰にでもあるのではないかと思います。

 

けれど高すぎるプライドの背景には、

 

とても苦しい「自己愛の傷つき」が隠れていることがあります。

 

自己愛とナルキッソス

 

「自己愛」は、ギリシャ神話のナルキッソスに由来する、

 

英語のNarcissism(ナルシシズム)を日本語に訳したものです。

 

美しい青年ナルキッソスに恋をしたエコーは、

 

ゼウスの怒りをかったために、自分からは話しをすることが出来ず、

 

相手の言葉を繰り返すことしか出来ません。

 

自分からは話しかけられないエコーを、

 

ナルキッソスは冷たくあしらいます。

 

傷ついたエコーの恨みを聞き入れた復讐の女神ネメシスによって、

 

ナルキッソスは水面に映る自分自身に、

 

決して叶うことのない恋をしてしまいます。

 

そんなナルキッソスに由来するナルシシズムは、

 

「自分自身に対する関心の集中」の現れです。

 

健全な自己愛と、不健康な自己愛

 

ただ、この「自分自身に対する関心」には、二つの種類があります。

 

一つは、健全な「本来の自分自身に対する関心」で、

 

自分が何をどう考え、感じているのかといった関心で、

 

内省を可能にするものです。

 

またこうした健全な自分自身にたいする関心は、

 

Self-love(セルフ・ラブ)自尊心といった

 

健全に自分を愛することができることの基礎にもなります。

 

一方で、「他人がもつ自分に対する評価への関心」があります。

 

これは、本来の自分自身というよりも、

 

「他者に映し出されるイメージとしての自分」に対するこだわりです。

 

この他者が持っている自分のイメージや評価に関心が集中してしまうと、

 

本来の自分からはどんどん疎外されていき、

 

自分が本当はどんな風に思っているのか、

 

感じているのか分からなくなってしまいます。

 

また他者による自己評価は、

 

自分ではコントロールできないものですから、

 

不安がなくなることはありません。

 

こんな風に他人からの評価に依存してしまうようになるのは、

 

やはり小さい頃の苦しい体験があります。

 

ナルシシズムの方は、

 

ナルシシズムの苦しみをもった親が背後にいることが多いのです。

 

自分に感心を向けてもらえないエコーが、

 

自分から、自分の話しをすることができなかったように、

 

ナルシシストの前では、

 

その人は存在することが出来ないのです。

 

ナルシシストの親の前では、

 

本来の自分自身に関心を持ち、

 

健全な自己愛を育てることは難しくなってしまいます。

 

すると自分の価値を他者からの評価に依存せざるを得ないのです。

 

多くのクライエントさんは、

 

子どもの頃に自然に持つ

 

「ちゃんと自分を見て欲しい」

 

「ちゃんと自分の話しを聴いて欲しい」

 

という自然な欲求が満たされなかった辛さを感じたくないために、

 

その欲求を自分が持っていることを

 

否定してしまっていることが少なくありません。

 

だからこそ、その否定を取って、

 

自分のなかにあるそうした自然な欲求を

 

認められるようになることは、

 

カウンセリングにおける一つの課題となります。

2019年01月25日 06:28

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