シャルトルのラビリンス
The Labyrinth of Cathédrale Notre-Dame de Chartres
パリのノートルダムが初期ゴシック建築の傑作なら、クラシカル・ゴシックの最高傑作はフランス中部にある都市シャルトルのノートルダム大聖堂です。11世紀初めにロマネスク様式で建てられたシャルトルのノートルダム大聖堂は、12世紀末に一度火災によって焼け落ち、ゴシック様式で再建されたのです。
中世では、巡礼者のために床にラビリンス(迷宮)が描かれる大聖堂が現れましたが、このシャルトルの大聖堂の床にも、ラビリンスがあります。
ラビリンスは迷路と間違えられやすいのですが、実は全く別の構造です。
ラビリンスと聞いて、クレタ島クノッソス神殿のラビリンスを思い出す方もいらっしゃるかも知れませんが、
まさにこのクレタ島のラビリンスの紋章であるLabrys(両刃の斧)がLabyrinth(ラビリンス)の語源であったという説もあります。
クレタ島にあるラビリンスは、いわゆる迷路のような通路が入り組んでいるような建造物ではなく、分岐のない一本道がグルグルと続いているのですが、
これこそが、ラビンリスの特徴です。
ラビリンスでの通路は決して交差せず、道に選択肢はありません。
そして、グルグルと一本道を辿っていくと、何度も中心の近くを通りすぎることになります。
つまり、幾度もついに中心に辿り着いたかと思いきや、まだまだ道のりは続いていくのです。
すると一本道なのに、自分がまるでどこかで道を間違えたかのような不安を感じはじめ、何度も何度も中心に辿りついたかと思ったらやっぱり違ったとがっかりすることになります。
けれどその道は実際に中心へと通じていて、必ず中心に辿りつけるのです。
中心に辿り着く以外の選択肢はないのです。
そしてその一本道を辿っていくことで、その空間内のすべてを通る、すべてを体験するような設計になっているのです。
アリアドネの糸
何か複雑な物事を解決する際に、「糸口を探す」「手がかりを探す」と言いますが、
英語では「糸口」「手がかり」は、clueです。
もともとclueは糸玉、つまり糸をグルグルと巻いてまるめたボールを意味していました。
そして、この糸玉は、アリアドネの糸玉のことです。
アリアドネとはミノス王の娘です。
クレタ島のミノス王は、自分の后パシパエが美しい白い雄牛と交わり産んだ、牛の頭を持つミノタウロスを、
名工ダイダロスに建造させたラビリンスの奥深くに閉じ込めます。
そして、成長し凶暴になったミノタウロスの食料のために、9年毎に7人の少年と少女を生け贄として捧げていましたが、
あるときアテナイの英雄テーセウスがこの生け贄に自ら志願し、クレタ島にやってきます。
テーセウスに恋したミノス王の娘アリアドネは、彼にラビリンスから脱出するための糸玉を渡します。
こうしてテーセウスは、ラビリンスでミノタウロスを倒し、アリアドネの糸を辿って無事にラビリンスから脱出することに成功するのです。
シャルトルのラビリンス
シャルトルのノートルダムのラビリンスは、11の同心円からなり、その中心には6枚の花弁を持つバラが描かれています。
バラは、大いなる自己、セルフの象徴です。
つまり、ラビリンスは、真の自己への回帰を表現しているのです。
中世ヨーロッパでは、個人としての巡礼者が、世界・宇宙の創造主であり中心である神との合一を目指す、瞑想の一つの方法としてこのラビリンスを用いていました。
ラビリンスは人生の道のりにも似ているし、何かの物事を行ううえでのプロセスにも似ているのではないでしょうか。
必ず中心に辿り着くことを信じたいけれど、
幾度も間違えたのではないかという不安にふるえ、
もう辿り着けないかも知れないと恐怖に戦きながら、
それでも微かなアリアドネの糸を辿って進んでいく。
カウンセリングも、そんなプロセスにどこか似ています。
セッションのなかに立ち現れてくるアリアドネの糸を一緒に辿りながら進んでいきます。
クライエントの脳裏には、何度も、何のためにこんなことをしているのだろうと疑問がよぎります。
もう中心に辿り着いたかと思うと、それはまだ途中でしかないことが分かり、がっかりしてしまいます。
カウンセリングでは、途中で休憩してもいいし、どこまで進みたいかは自分で決めてよいことだと思います。
必ず中心に辿り着かなければならないこともないでしょうし、
自分で進む意図も無いのに進んでいる方もいるでしょう。
それでも、人生のラビリンスでは、今日も、呼吸をし続けることを選んでいるのであれば、
あなたはラビリンスを進んでいるのだと私は思います。
そして自分で意図しなくても呼吸をし続けられているのであれば、
それは大いなる自己が、あなたがラビリンスを進むのを後押ししているのではないかと思います。
2019年05月03日 18:02