神話の終焉と神話を生きるということ
スターウォーズの完結
2019年12月20日に日米同時公開というかたちで、スターウォーズ エピソード9が公開され、ジョージ・ルーカスが構想した9作にわたるスカイウォーカー一族の壮大な物語が、42年の時を経て完結しました。
現代の神話とも言われるスターウォーズの時代背景などを振り返りながら、私たちは今、どんな時代を生きているのかを考えてみたいと思います。
映画には、その時代の文化や精神の在り方が表現されます。それは、その時代の主流となる文化的慣習であることもあれば、主流となる価値観や行動規範とは大きく異なる、いわゆるカウンターカルチャー、サブカルチャーであることもあります。
スターウォーズ旧三部作の最初の作品が作られた1970年代後半とは、どんな時代だったのでしょうか。
1960年代に起きたアフリカ系アメリカ人による公民権運動、ケネディ大統領の暗殺、ベトナム戦争の拡大と深刻化から、1970年代始めのオイルショックと不況、そしてベトナムからの撤退といった暗い出来事が続き、
1970年代後半のアメリカは挫折し、傷つき、疲弊していた時代と言って良いのではないかと思います。
またフランスで起こったヌーベルバーグの流れを受け60年代半ば以降のアメリカではニューシネマの動きが起こり、ベトナム戦争など当時の政治状況に対する失望と反発を表現した反権威主義的な映画が多く作られました。
ジョージ・ルーカスも始めはそうしたニューシネマの担い手として映画を作り始めますが、映画のなかで現実世界を見せることではなく、”set standards” (基準を設けること)、そして”modern use of mythology” (現代における神話)の重要性に気づき、スターウォーズを製作することになります。
ヨーダと東洋の叡智
この新しいstandards「基準」を設けること、つまり混乱の時代において生きるためのガイドラインのようなものを、ルーカスは東洋的な宇宙観に求めました。
その背景には、1960年から70年代に潜在的に発展していたニューエイジ運動があります。ニューエイジ運動とは、宇宙や自然といった個を超えた大いなるものとの繋がり、また人間の持つ無限の潜在的な能力に注目し、個人における霊性を向上させていこうとする試みでした。
こうした背景のもと、インド、中国といった東洋的な哲学や思想がアメリカ文化に影響を与えます。スターウォーズでもキリスト教的な人格神は描かれず、むしろ東洋的な宇宙観が見られます。
登場人物たちは、困難を前にして神に助けを祈ることはなく、フォース、つまり宇宙に遍在する集合的なエネルギーとのつながりによって、自分の進むべき道を見つけていきます。
仙人のようなヨーダの言動には、道教的な思想が色濃く見受けられます。ヨーダは、善悪ではなく、陰と陽、光と闇のバランスの重要性を説きます。
エピソード3の終わりに、闇の帳が降りたことを感じたヨーダは、再び光が伸びていく「時」が来るまでは、いったん身を潜めると決めたように、「時」を重要視するのも東洋的な思想の特徴です。
「四書五経」の一つである「中庸」の中に、次のような言葉が出てきます。
「君子而時中(君子はよく時中す)」
「時中(じちゅう)」とは、時(とき)に中(あたる)、物事における最善のタイミングにピタリと合わせることです。天の動きに逆らうのではなく、その動きに沿って動くことが出来るのが君子だと言うのです。
つまり、むやみやたらに行動を起こせば良いのではなく、諸葛孔明が赤壁の戦いで北西の風から東南の風へと変わる、その時に火を放つ事で勝利を得たように、「時をよく読み」、その時が来るまでは身を潜め、その時が来たら必要な行動を素早く起こすことができるのが君子です。
物事が動くときには、必ずその兆しがあります。普通の人が気づくことのない微かな変化の兆しを、心の目と耳で捉えることが出来る人が、君子でありジェダイなのです。
この変化の兆しを読み取るために古代中国で発展したものが、「易(えき)」です。易の経典である「易経」は英語では”Book of Changes”(変化の書)と呼ばれます。
易はいわゆる占いの一つと見なされていますが、「易経」は、「四書五経」の一つであり、君子が修めるべき哲学書でもあります。
この「易経」の中に、「窮すれば通ず」という言葉が出てきます。
「窮」は「九」であり、九は易では「老陽」にあたり、陽の極まりを意味します。窮地に陥ることはネガティブなことのようですが、窮することこそ状況を打開するための道です。
冬の間、死んだように見える植物たちは、冬が極まったのちに春が来て再び芽吹きます。
陰が極まった時に陽が生じ、陽が極まった時に、陰が生じるのです。闇が極まった時にこそ光が生じる、この闇と光、陰と陽の絶えざる循環が東洋の思想です。
ルーカス無きシークエル・トリロジー
半世紀前に制作されたエピソード4の背景に、ベトナム戦争や体制への幻滅と、ニューエイジ運動などの個人の意識の再生のための試みがあったのならば、現在はどうなのでしょう。
エピソード7から9までの製作事情に、現代の精神の在り方が垣間見られるかも知れません。
エピソード4から6までの旧三部作、エピソード1から3までの新三部作はジョージ・ルーカスのオリジナルな構想に基づいて製作されましたが、その後作品の権利と制作会社はディズニーに買収されてしまいます。
つまり、エピソード7から9までのシークエル・トリロジー(続三部作)は、もはやルーカスの構想には基づいていないのです。
原作者であるルーカスのいないエピソード7から9は、「スターウォーズらしさ」というイメージに振り回され、スターウォーズ旧三部作をなぞるかのような作品になってしまいました。
時代の最先端の技術を用い東洋の伝統的思想を取り入れるという、まったく新しいものをクリエイティブに作り出していった、未開の地に果敢に挑んでいくというルーカスの真に英雄的な精神は失われて、既にあるものをコピー&ペーストして違ったもののように見せるという保守的な態度が見られます。
もちろん、新しい試みもありました。分かりやすいところでは、ジェダイナイト、主人公が女性になり、世界のボーダレス化、グローバル化を反映するように、主要なキャラクターたちのエスニシティや肌の色が多様化されました。
けれど、この多様性の表現は、真に新しいものや世界観を表現しようとする試みというよりも、観客が見たいものを見せるというとても表面的なものに留まっているということも現代社会を象徴しているのかもしれません。
例えば、エピソード8で非白人女性として初めて、ローズ・ティコというメインキャラクターを演じたベトナム難民を両親にもつベトナム系アメリカ人であるケリー・マリー・トランが、映画公開後にソーシャルメディアで彼女の人種や外見に関する差別的な攻撃を受けるという出来事がありました。
その後のエピソード9では、ローズ・ティコはほんの少し映る程度のポジションに戻されてしまいます。
映画が一部の人たち、特にソーシャルメディアが作り出す世論に影響を受けるというのも、現代を反映しているのかも知れません。
ヘルメス元型と現代
エピソード9については、様々な批評がありますが、特に印象に残ったのは、シカゴ・トリビューンの次の批評です。
”エイブラムズ監督は宇宙レースに火をつけただけで、キャラクターの感情をどこにも着地させなかった。なぜならキャラクターは宇宙中を駆け巡りお互いを探し合うのに忙しかったからだ”
個人的には、これは非常に的確に現代の私たちの精神の在り方、背後にある一つの元型、ヘルメス元型を表現しているように感じました。
ギリシャ神話のヘルメスは、生まれてすぐに自分に必要なものを交換によって手に入れた商才のある商業の神であり、各地を飛び回る旅の神でもあります。そして、何よりも神の伝言を伝える使者であり、伝令の神、メッセンジャーです。
ヘルメスは手にケーリュケイオンという黄金の杖を持ち、翼のついた靴を履き、風よりも早く馳けめぐります。
計略の神でもあるヘルメスは、様々な才能を持ち、神々の伝言を伝えますが、彼自身には伝えるべき内容がありません。ただ、情報を運ぶだけです。
現代の神は経済だ、と言う方もいる程に、経済を中心にすべてがまわり、インターネットによってあらゆる情報が風よりも早く瞬時に世界中を飛び交い、2000年には6億8700万人だった世界の旅行者数は、2019年には14億人を突破しました。
IT技術の進化によって、世界の何処にいても仕事ができ友達と話すことが出来るようになり、特定の場所に縛られることなく、自由に動き回ることが出来る恩恵を手にした一方で、私たちは、何処にも本当の居場所が無くなってしまったのかも知れません。
日常的に大量の情報が飛び交い、そうした情報が私たちを通り過ぎていきます。私たちは、そうしたインフォメーションがただ通り過ぎていくだけのステーションのような存在になり、本当に伝えるべきものを無くしてしまっているのかも知れません。
流入する大量の情報を処理し追いかけるのに忙しくて、自分にとって本当に大事な情熱を忘れかけてしまっているのかも知れません。
ギリシャ神話では、ヘルメスという常に動き回る旅や伝令の神だけでなく、常に家の中心に居て、そこから動くことのないヘスティアという炉、竈(かまど)の女神が大変重要視されていました。
ヘスティアは、家庭の守護神であり、国家統合の守護神でもありました。ヘルメスには、ヘスティア、つまり不動の内なる炎を護る神も一緒でなければなりません。
”Follow your bliss”「あなたの至福に従え」
ルーカスはジョゼフ・キャンベルの英雄神話の研究に基づき、サーガを構想しました。けれど、もちろんキャンベルは、ディズニーに儲けさせるために神話の研究をしたわけではありませんし、ルーカスもまた大儲けするためにスターウォーズを製作したのではありません。
キャンベルもルーカスも、従うべきは”your bliss”「あなたの至福」だと私たちに語りかけていました。
”Follow your bliss and the universe will open doors where there were only walls.”
「あなたの至福に従いなさい。そうすれば、宇宙は壁しかなかった所に扉を開けてくれるでしょう。」
それがキャンベルの伝えたかったことであり、ルーカスのしたことでした。
キャンベルは言います。
「人々は、物事を動かしたり、制度を変えたり、指導者を選んだり、そういうことで世界を救えると考えている。
違うんです!生きた世界ならば、どんな世界でもまっとうな世界です。
必要なのは世界に生命をもたらすこと、そのためのただ一つの道は、自分自身にとっての生命のありかを見つけ、自分がいきいきと生きることです。」
英雄とは、生命力が枯渇してしまった荒れ地に、再び命をもたらすことのできる存在のことです。
スターウォーズが完結した今、ルーカスやキャンベルが私たちに残してくれたメッセージをもう一度思い出し、
他人の生き方のコピー&ペーストでもなく、
他人が求める生き方でもなく、
自分の世界に、自分にとっての生命のありかを見つけ、
自分がいきいきと生きること。
それこそが、英雄的生き方であり、神話を生きることではないかと思います。