パニックにならないために
洞窟に閉じ込められてもパニックにならなかった少年たち
前回のブログでは、不安は消そうとすればするほど強くなるというお話しとともに、不安を受け容れることの重要性について書きました。
日々の生活のなかで、思わぬ事態に陥ったり、
大変なことが重なってしまったりして、
パニックになりそうな瞬間というのは多々ありますよね。
昨年2018年の7月に、タイのサッカーチーム12人の少年とコーチが、
洞窟のなかに2週間以上も閉じ込められたあと、
無事に救出されたというニュースが、
まだ記憶に新しい方もいらっしゃるかも知れません。
そんな普通であればパニックになりそうな状況を
見事に切り抜けることが出来たのは、
少年時代に出家し10年以上も瞑想の修行をしていたという
コーチによる導きのもと、
少年たちが真っ暗な洞窟のなかで瞑想をしていたためと報道されました。
ABC Newsによると、コーチは、
出口が水で塞がり出られないということを悟ったとき、
まずは自分自身が落ち着きを取り戻さなければならない、
そして少年たちを落ち着かせ、
希望を持たせなければならないと思ったといいます。
そのコーチが少年たちに指導した瞑想法は、
ヴィパッサナー瞑想だと言われています。
ヴィパッサナー瞑想
ヴィパッサナー瞑想はテーラワーダ仏教の教える瞑想法です。
仏教のなかでも紀元前5世紀に釈迦が悟りを開いて、
教えを広め始めてから200年間くらいの間の仏教を初期仏教といいます。
その初期仏教のなかでも、
スリランカやタイ、ミャンマーなどの南方で広まった、
テーラワーダ仏教(上座部仏教(じょうざぶぶっきょう))のなかで、
伝え続けられてきた瞑想法がヴィパッサナー瞑想です。
つまり、釈迦の本来の教えにとても近いといえます。
釈迦が本来伝えようとした教えは、
とてもシンプルなものだと思います。
それは、現実をありのままにみること。
私たちが不安になったり、心配になったり、
怖くなったりすることというのは、
ほとんどが「いま・ここ」で起きていることではなく、
「過去に起きてしまったこと」や、
「未来に起きるであろうこと」に対する
「考え」や「イメージ」から生じています。
「こんなことが起きたらどうしよう」
「こうなってしまったら人生終わりだ」
「こんな失敗をしてしまったから、もうダメだ」
そうしたイメージや考えは、
脳にとっては現実にそうした悲劇が起きているのと、
区別をつけることが出来ませんから、
それを実際に体験したのと同じカラダの反応を引き起こします。
コントロールできることと、コントロールできないことを分ける
けれど、残念ながら、こうした常にあたまの中に湧きつづける、
さまざまな「思考」や「イメージ」を
止めることは出来ません。
また、それを無くして無になることは不可能なことです。
前回と同様に、まずは出てくるものは出てくるものとして、
ありのままに認める、気付くことが重要です。
そして、呼吸に意識を向けながら、
ひたすら意識にのぼることに「いま、こう考えていた」と気づいたら、
それに判断を下したり評価をすることなく、
またそれ以上その考えに入り込むのではなく、
また呼吸に意識を戻すということを繰り返していきます。
この「焦点をあてるものを選びなおすことができる」、
というのが意識の素晴らしいところです。
瞑想は筋トレと一緒で、
練習することでちょっとずつ上手になっていくものです。
でも逆を言えば、練習をしないと出来るようにはなりません。
タイの少年たちに話しを戻します。
彼らは瞑想をしながらただ救助を待っていただけではありません。
交代で、洞窟の壁の岩を掘り続けてもいたのです。
現実をありのままに受け止めながらも、
出来ないこと、変えられないことに意識を向けるのではなく、
自分で出来ることを探し、
たとえ小さくてもそれをやり続けること。
困難な状況に陥ったときには、
気持ちを落ち着けたうえで行動をつづけることの重要性が、
タイの少年たちが教えてくれたことかも知れません。