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Helix Centreでは三鷹・武蔵野市周辺の18歳以上の方を対象に、臨床経験豊富な女性臨床心理士がカウセリングを行っています。

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パニックにならないために

洞窟

洞窟に閉じ込められてもパニックにならなかった少年たち

 

前回のブログでは、不安は消そうとすればするほど強くなるというお話しとともに、不安を受け容れることの重要性について書きました。

 

日々の生活のなかで、思わぬ事態に陥ったり、

 

大変なことが重なってしまったりして、

 

パニックになりそうな瞬間というのは多々ありますよね。

 

昨年2018年の7月に、タイのサッカーチーム12人の少年とコーチが、

 

洞窟のなかに2週間以上も閉じ込められたあと、

 

無事に救出されたというニュースが、

 

まだ記憶に新しい方もいらっしゃるかも知れません。

 

そんな普通であればパニックになりそうな状況を

 

見事に切り抜けることが出来たのは、

 

少年時代に出家し10年以上も瞑想の修行をしていたという

 

コーチによる導きのもと、

 

少年たちが真っ暗な洞窟のなかで瞑想をしていたためと報道されました。

 

ABC Newsによると、コーチは、

 

出口が水で塞がり出られないということを悟ったとき、

 

まずは自分自身が落ち着きを取り戻さなければならない、

 

そして少年たちを落ち着かせ、

 

希望を持たせなければならないと思ったといいます。

 

そのコーチが少年たちに指導した瞑想法は、

 

ヴィパッサナー瞑想だと言われています。

 

ヴィパッサナー瞑想

 

ヴィパッサナー瞑想はテーラワーダ仏教の教える瞑想法です。

 

仏教のなかでも紀元前5世紀に釈迦が悟りを開いて、

 

教えを広め始めてから200年間くらいの間の仏教を初期仏教といいます。

 

その初期仏教のなかでも、

 

スリランカやタイ、ミャンマーなどの南方で広まった、

 

テーラワーダ仏教(上座部仏教(じょうざぶぶっきょう))のなかで、

 

伝え続けられてきた瞑想法がヴィパッサナー瞑想です。

 

つまり、釈迦の本来の教えにとても近いといえます。

 

釈迦が本来伝えようとした教えは、

 

とてもシンプルなものだと思います。

 

それは、現実をありのままにみること。

 

私たちが不安になったり、心配になったり、

 

怖くなったりすることというのは、

 

ほとんどが「いま・ここ」で起きていることではなく、

 

「過去に起きてしまったこと」や、

 

「未来に起きるであろうこと」に対する

 

「考え」や「イメージ」から生じています。

 

「こんなことが起きたらどうしよう」

 

「こうなってしまったら人生終わりだ」

 

「こんな失敗をしてしまったから、もうダメだ」

 

そうしたイメージや考えは、

 

脳にとっては現実にそうした悲劇が起きているのと、

 

区別をつけることが出来ませんから、

 

それを実際に体験したのと同じカラダの反応を引き起こします。

 

コントロールできることと、コントロールできないことを分ける

 

けれど、残念ながら、こうした常にあたまの中に湧きつづける、

 

さまざまな「思考」や「イメージ」を

 

止めることは出来ません。

 

また、それを無くして無になることは不可能なことです。

 

前回と同様に、まずは出てくるものは出てくるものとして、

 

ありのままに認める、気付くことが重要です。

 

そして、呼吸に意識を向けながら、

 

ひたすら意識にのぼることに「いま、こう考えていた」と気づいたら、

 

それに判断を下したり評価をすることなく、

 

またそれ以上その考えに入り込むのではなく、

 

また呼吸に意識を戻すということを繰り返していきます。

 

この「焦点をあてるものを選びなおすことができる」、

 

というのが意識の素晴らしいところです。

 

瞑想は筋トレと一緒で、

 

練習することでちょっとずつ上手になっていくものです。

 

でも逆を言えば、練習をしないと出来るようにはなりません。

 

タイの少年たちに話しを戻します。

 

彼らは瞑想をしながらただ救助を待っていただけではありません。

 

交代で、洞窟の壁の岩を掘り続けてもいたのです。

 

現実をありのままに受け止めながらも、

 

出来ないこと、変えられないことに意識を向けるのではなく、

 

自分で出来ることを探し、

 

たとえ小さくてもそれをやり続けること。

 

困難な状況に陥ったときには、

 

気持ちを落ち着けたうえで行動をつづけることの重要性が、

 

タイの少年たちが教えてくれたことかも知れません。

2019年01月12日 06:49

不安でも大丈夫

抱える①

不安との上手なつきあい方

 

お正月休みも終わり、お仕事や学校が始まった方も多いと思います。

 

仕事や学校が楽しみで仕方無い、という方もいるかも知れませんが、

 

休み明けというのは、

 

多くの方が不安や憂うつな気持ちを感じるのではないでしょうか。

 

そんな不安を感じたとき、皆さんはどうされていますか?

 

多くの方は、不安を無くそう、消そうとされるのではないかと思います。

 

けれど、不安というものは、

 

無くそうとすればするほど、

 

消そうとすればするほどに、

 

不安な気持ちが強くなってしまうものなのです。

 

マインドフルネスになろう

 

マインドフルネスという言葉を聞いたことがあるでしょうか。

 

マインドフルネスとは、

 

「いま・ここ」に意識を集中させることで、

 

あるがままにものごとを受けいれることを意味します。

 

私たちは、通常は、つねにものごとを価値判断し、

 

評価をくだしています。

 

「不安になってはいけない」

 

「こんな風に考えるのは、ダメだ」

 

「もっと、強くなりたいのに」

 

そんな風に判断を下し、評価することで、

 

ますます気持ちは落ち込んでいきます。

 

一方で、マインドフルネスになるということは、

 

そうした判断や評価を、少しわきに置いて、

 

「いま・ここ」にあるものを淡々と観察しつづけます。

 

不安な気持ちになったら、

 

その不安な気持ちに気付いて、

 

自分が不安に感じていることを認めて、

 

ただその不安を観察するのです。

 

やってみよう、マインドフルネス

 

少し、目を閉じて、自分のカラダを観察してみます。

 

焦りや不安を感じていたら、

 

その焦りや不安がカラダの何処で感じているのか、

 

意識を向けてみましょう。

 

ひょっとしたら、胃の下のあたりがモゾモゾしたり、

 

ノドの辺りに何かがつまっているようだったり、

 

胸がキュッと圧迫されているように感じたりするかも知れません。

 

そうしたカラダの感覚に、

 

一つ一つ気付いてみてください。

 

実は、こんな風にカラダの感覚をモニタリングするだけでも、

 

不安が和らぐ効果があります。

 

次に、違和感を感じたカラダの部位に、

 

そっと手をあててみます。

 

そして、そこに優しく空気を吹き込むようなイメージで、

 

呼吸をしばらく繰り返してみてください。

 

そして心のなかで自分に向けて

 

「不安になることもあるよね。」

 

「そこに居てもいいよ」

 

と、不安にちゃんと居場所を作ってあげましょう。

 

今年は、ぜひ不安と仲良くなる練習をしてみてください。

2019年01月08日 06:16

カラッぽにするために

ソテツトンネル

ヨガの浄化法

 

正月三が日も過ぎましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 

前回、枯れてしまった気を取り戻し、

 

生命力を活性化させるために、

 

汚れを落とし、心身を清めるのが、

 

日本人の根底に流れる価値観だと書きました。

 

実は、これはヨーガの哲学にも通じるところがあります。

 

ヨーガの哲学では、すべてのモノには

 

・サットヴァ(純粋・調和)

・ラジャス(激情)

・タマス(惰性)

 

という3つの性質があると考えます。

 

サットヴァな食事(ベジタリアンのシンプルな味付けの消化しやすい食べ物)を頂き、

 

キレイに洗濯した衣服を身につけ、

 

部屋の不要なモノを捨ててお掃除をすることで環境を浄化し、

 

瞑想をすることで頭のなかのいらないものを捨ててクリアにして、

 

ヨーガを日々練習することで集中力を高めます。

 

また、ヨーガにはKriyas(クリヤー)と呼ばれる6つの浄化法があります。

 

Neti(ネティ)というクレンジング方法では、

 

片方の鼻腔からポットで塩水をもう片方の鼻腔に流して

 

粘膜をクレンジングします。

 

また、カパラバティと呼ばれる呼吸法は、

 

肺と頭蓋骨を浄化し、顔を輝かせてくれます。

 

マインドもカラダもスピリットも、

 

すべてを浄化してカラッぽにして、

 

純粋(サットヴァ)にしていくことで、

 

ブラーフマンと呼ばれる宇宙の根源と一体になることを目指します。

 

(これは仏教では、「梵我一如(ぼんがいちにょ)」と呼ばれます。)

 

カラッぽであることの苦痛

 

ところが、カラッぽであること、浄化されていることを、

 

苦痛に感じてしまうことがあります。

 

シーンとした静寂が苦痛であったり、

 

音がないと不安に感じて、

 

ついテレビをつけてしまう方もいるでしょう。

 

また、自分のなかの虚しさや悲しみを埋めて、

 

怒りを飲む込むために何かを食べてしまう方もいます。

 

薄い味付けでは気持ちが満たされずに、

 

塩気が強いものやスパイシーなものを欲してしまう時もあります。

 

日常生活では、わざとカラッぽにならないようにしていることも多いのです。

 

ですから、カラッぽになるというのは、そんなに簡単なことではありませんが、

 

完璧に浄化してカラッぽになることだけを目指すのは、

 

出家をして悟りを目指しているわけではない私たちにとって、

 

あまり現実的ではないと感じています。

 

むしろ、心身を浄化して

 

カラッぽにすることを意識するなかで、

 

自分の中にある色々なものと向き合うプロセスが、

 

大事ではないかと思います。

 

例えば、当たり前のように食べていた甘いものを

 

少しだけ控えてみると、

 

自分のなかにある「寂しさ」や「甘えたい気持ち」に気付くかも知れません。

 

テレビを少しだけ消してみることで、

 

ココロの中にある「虚しい感じ」に気付くかも知れません。

 

ストレスを感じたときや疲れたときに甘いものを食べることも、

 

家でボーッとするためにテレビを見ることも、

 

大変な日常生活をやり過ごしていくための

 

ストレスマネジメントの側面もあったりしますので、

 

悪いものというわけではありませんが、

 

普段、見ないようにしている自分の気持ちを見つめていくことは、

 

より大きな深い魂の癒しへと繋がる、

 

大事な入り口でもあります。

 

2019年01月04日 23:04

元とカラッぽ

日の出

元旦と新しい生命力

 

新年、明けましておめでとうございます。

 

今年も、新しい年が明けました。

 

さて、本日、1月1日は、元旦といいますよね。

 

もともと、この「旦」は地平線から太陽が昇ってくる様を表し、

 

「日の出」を意味しています。

 

そして、「元」は「はじめ」を意味しています。

 

つまり、「元旦」は一年の最初の日の出、元日の朝のことなのです。

 

この元日に、多くの方が初詣に行かれるのではないかと思いますが、

 

神道では、この「元(はじめ)」であるということを、とても重要視します。

 

ものの「元(はじめ)」には生命力と活力が宿る、と神道では考えます。

 

そしてこの「生命力の溢れた状態」こそが「善」で、

 

気枯れ(けがれ)、

 

つまり気が枯れて生命力が減退することは、

 

穢れ(けがれ)だと考えます。

 

だから、大晦日には一年のあいだにたまった汚れを、

 

大掃除をしてきれいに落とし、穢れをはらう。

 

そして元日をフレッシュな気持ちで迎え、生命力を蘇らせる。

 

日本人ほどお風呂好き、清潔好きな国民はいないと言われていますが、

 

心身を清め、お部屋を掃除して汚れを払うことを重視するというのは、

 

私たち日本人の根底に流れる価値観ではないかと思います。

 

カラッぽの哲学

 

年末の大掃除では、沢山のモノを断捨離された方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

この数年、断捨離やミニマリズムなどのコンセプトが

 

注目されてきましたが、

 

モノを減らし、空間を作ることを重視するのも、

 

日本に古来からある哲学ではないかと思います。

 

神社に話しを戻すと、

 

本来、神社には神が常駐していたわけではなく、

 

四方に結界をつくり聖なる空間を作り出すことで、

 

そこに神を招き入れていたと言われています。

 

カラッぽであるからこそ、そこに何かを招くことができるのです。

 

野口三千三のカラダ

 

野口体操の創設者である野口三千三さんは、

 

“からだの「から」は、カラッポの「カラ」。地球のエネルギーの通り道”

 

であると言いました。

 

本来、私たちのカラダは、何かがギュッとつまったようなものではなく、

 

食べ物や水、酸素といったカタチをしたエネルギーが

 

一時的にとどまっては、また外に出て行く、

 

「エネルギーの通り道」なのだと言っています。

 

さらに野口さんは、

 

私たちのカラダの60兆の細胞の「風通しがいい」ことによって

 

ほんの少しの、ささやかな変化を感じられるのが「爽やか」であり、

 

その「爽やか」な感じを感じられるのが、

 

「しあわせ」な状態であると言っています。

 

つまり、カラダの中に色々とため込まずカラッぽにすることで、

 

カラダのなかに地球のエネルギーを招き入れ、

 

それを感じ取れることが幸せなのではないかと思います。

 

今年も、皆様の心身にたくさんの生命力と活力が流れ、

 

良い一年となりますよう、、、

 

次回のブログでは、どうしたらカラッぽにできるのか考えてみたいと思います。

 

2019年01月01日 00:00

自分のカラダの境界線

星空とテント

共同体のカラダ

 

忘年会シーズン、食べ過ぎや飲み過ぎで体調を崩されている方も多いのではないでしょうか。

 

宴会の席では、つい飲み過ぎてしまったり、

 

食べ過ぎてしまったりするようです。

 

では、そうした食べ物を食べたり、飲んだりしているのは、

 

誰のカラダなのでしょうか。

 

そんな時、ひょっとすると、私たちのカラダは

 

私たち個人のものではなく、

 

そこにある共同体(コミュニティ)の一部になってしまい、

 

それを飲み食いしているのは、共同体としてのカラダなのかも知れません。

 

「同じ釜の飯を食う」という言葉があります。

 

これは、ある共同体のなかで同じ食べ物を食べることによって、

 

その共同体と一体感を持ち、帰属意識を持つという意味があります。

 

また、神前式で新郎と新婦が三献の儀をとりおこない、

 

一つの同じ盃で、御神酒を交互に飲むことによって別々の個人を、

 

夫婦という一つの共同体に結びつけるという儀式もあります。

 

何かを一緒に飲み、食べるということは、

 

個人の境界線を越えさせる力があるのでしょう。

 

日本の社会と多様性

 

日本の社会は、同質性の高い社会であると言われています。

 

同じであること、一緒であること、一体感をとても大事にします。

 

そこには、沢山の利点も素晴らしい点もあると思います。

 

でも日頃、そんな状況のなかでは、

 

カラダごと自分の属するコミュニティの一部になってしまっているのかも知れません。

 

私たち日本人の共同体への「順応性」が高いのは素晴らしいと思う一方で、

 

やはりそれによって犠牲になっているものがあると思います。

 

それは、自分の内なる共同体、自分のカラダです。

 

本来、私たちのカラダは百人百様みな違いますし、

 

私たち自身のカラダの内部も様々な内臓やらシステムやらの、

 

共同体で出来ています。

 

そこには、それぞれの欲求と要求があります。

 

腎臓は、疲れて休みたいと言っているかも知れません。

 

首や肩は、少し動きたいと言っているかも知れません。

 

けれど、コミュニティの中にいると、

 

自分自身の内なる声は聞こえなくなり、

 

自分のカラダからのサインはかき消されてしまいます。

 

どうしたら、外のコミュニティをないがしろにすることなく、

 

同時に個人でいることができるでしょうか。

 

自分の属する、社会、家族、会社、学校、友人などのグループ、

 

さまざまなコミュニティと、

 

どんな距離を持ち、どんな関わり方をするのかは、

 

個人それぞれが答えを見つけていくものだと思いますが、

 

柔軟な境界線(バウンダリー)を持つということは、

 

重要ではないかと思います。

 

このバウンダリーは私たち日本人にとってとても大事な考え方だと思うので、

 

また別の機会に触れたいと思いますが、

 

ここでは簡単に自分と他者とを分ける境界線としておきます。

 

柔軟ということは、時にはコミュニティと一体となって、

 

一緒に働き、一緒に学び、一緒に楽しむけれど、

 

バウンダリーを閉じることが必要な時には、

 

ちゃんと閉じることが出来る状態です。

 

バウンダリーを閉じるとは、

 

断ることであったり、

 

少し距離を取って一時的に離れることであったり、

 

自分のココロやカラダの欲求を優先することであったりするかも知れません。

 

この年末、是非ご自分の内なるコミュニティの声にも、

 

耳を傾けてみてください。

 

 

2018年12月28日 06:53

生と死を祝うクリスマス

波と太陽と空

クリスマスの起源

 

今日、12月25日はクリスマスです。

 

欧米では、そしてクリスチャンの方は、

 

この12月25日はキリストの誕生した聖なる日として、

 

お祝いをしてきました。

 

けれど、この12月25日をキリスト誕生日として祝い始めたのは、

 

4世紀頃と言われています。

 

では、それまではどうだったかというと、

 

クリスマスの起源については諸説あるようです。

 

太陽神の誕生日

 

その一つが、

 

紀元2世紀から4世紀にローマ帝国において広い範囲で信仰されていた、

 

ミトラ教の神であるミトラの誕生を祝う日であったという説です。

 

このミトラは、太陽神です。

 

現代では1年のうち最も日が短い冬至は、毎年変わります。

 

今年は、12月22日でした。

 

けれど、この頃、冬至は12月25日とされていたようです。

 

つまり、12月25日というのは、

 

太陽が出ている時間が最も短くなると同時に、

 

これから長くなっていく変わり目の日です。

 

太陽が最も短くなる、その「死」の瞬間というのは、

 

そこから少しずつまた日が長くなりはじめる「誕生」の瞬間でもあるのです。

 

最古の都市文明の太陽神

 

さて、このミトラの発祥についても諸説あります。

 

その一つが、アッカドの太陽神シャマシュに起源を持つというものです。

 

このシャマシュは、さらにシュメールの太陽神、ウトゥに遡れます。

 

シュメール文明は、人類最古の都市文明と言われ、

 

チグリス川・ユーフラテス川の間に興ったメソポタミア文明の

 

最も初期の文明で、紀元前3500年頃に始まったとされています。

 

長い手をもち、髭を生やした太陽神ウトゥは、

 

天にある東の門より日の出とともに現れ、

 

空を駆け巡ったあと、

 

西の地平線にある門から、

 

“空の部屋”に入り、そこで一晩過ごし、

 

翌朝また出てきます。

 

古い部屋のドアを閉め、新しい扉を開く

 

そんな象徴的な神話や背景がある、この12月25日。

 

どうぞ、皆さんもご自分の「生と死」をイメージしてみてください。

 

もちろん「生と死」と言っても、実際に死ぬわけではなく、

 

シンボリカルな意味で、です。

 

この1年の最後に、あなたが終わらせたいこと、

 

過去のものとして整理して、きちんと扉を閉めたいことは何でしょう。

 

それを終わらせるために、出来ることはあるでしょうか。

 

何かを捨てたり、手放したり、

 

言えなかったことを言ってスッキリすることかも知れません。

 

そして、古い扉を閉めた後に、

 

あなたが開けたい「新しい扉」は、

 

どんな扉でしょうか。

 

どんな世界に入っていきたいと思われるでしょうか。

 

その扉を開けるために、何が出来るでしょう。

 

古い扉を閉めて、明日から、そして新年から新たな扉を開けるために、

 

この年末に出来る「心の大掃除」があれば、

 

是非やってみてください。

 

楽しいパーティーも良いですが、

 

そんな一風変わったクリスマスも良いのではないでしょうか。

2018年12月25日 06:41

内なるリズムとともに生きる②ー宇宙のリズム

天の川②

内なる宇宙

 

今年も1年が終わろうとしています。

 

1年が終わるということは、誰もが知っているように

 

地球が365日をかけて太陽の周りを回って、戻ってきたということです。

 

月の満ち欠けは、月が地球の周りを29.5日かけて回ることによって、

 

太陽からの光の反射の仕方が変わることによって生じています。

 

この月の満ち欠けは、潮の満ち引きに影響をあたえ、

 

植物の中の水分や養分の移動にも影響をあたえています。

 

そして、私たち人間の気分やホルモンバランス、

 

生理のリズムやそれに伴う体内の環境なども

 

影響を受けていると言われています。

 

では私たちがそれと知らずに影響を受けているのは、

 

太陽や月だけなのでしょうか。

 

ユニバースとコスモス

 

冬の澄んだ美しい夜空を見上げると、

 

満天の星々が頭上に輝き、

 

私たちの地球は無数の星たち、

 

惑星たちと共にあることに気付きます。

 

かつてこの宇宙は、

 

ガスや金属、岩石などの塊に過ぎない惑星と星々、

 

物質とエネルギー、時間と空間からなり

 

自然科学の法則によって支配される“Universe”ユニバースではなく、

 

惑星たちが感情や知性、コミュニケーションや芸術、

 

美や愛などを司り、

 

人格のようなものさえもちながら、

 

宇宙全体が秩序と調和に満ちている“Cosmos”コスモスであった時代がありました。

 

もともと“Cosmos”という言葉は、

 

「秩序」「良い秩序」を意味する古代ギリシャ語の”κόσμος”に語源を持ち、

 

古代ギリシャの数学者であり哲学者のピタゴラスによって、

 

紀元前6世紀に初めて「宇宙」の意味として使われたと言われています。

 

天才的な数学者でもあったピタゴラスの宇宙論(コスモロジー)は、

 

宇宙は数学的な調和に満ち、

 

その根本は「天球の音楽」にあると考えました。

 

ルネッサンスのコスモロジーとフィチーノ

 

この天球の音楽が鳴り響くソウルフルで豊かなコスモロジーを

 

西洋社会に取り戻し、イタリアルネッサンスを牽引したのが、

 

マルシリオ・フィチーノという哲学者であり、医師、司祭です。

 

フィチーノは、コジモ・デ・メディチをパトロンに持ち、

 

ギリシャ語だったプラトン全集をラテン語に翻訳し、

 

プラトン哲学を西洋に再興させ、

 

ルネッサンスの新プラトン主義興隆のきっかけを作ります。

 

フィチーノはまた、「魂の医師」とも呼ばれていました。

 

このフィチーノが書き、何度も重版された当時のベストセラーに、

 

De Vita libri tres”(『三重の生について』)という3巻からなる、

 

彼と同じような学者の健康維持法と長寿論について書いた、

 

とても実践的な本があります。

 

この本の3巻目は、いかにして天体のリズムと調和し、

 

そこからの恩恵を得るかについて書かれています。

 

今を生きる私たちにとってのコスモロジーと内なる宇宙

 

ピタゴラスやプラトン、フィチーノやルネッサンスの豊かなコスモロジーから、

 

私たちは何を得ることが出来るのでしょうか。

 

科学的な視点を得て、

 

21世紀を生きる私たちは、

 

こうした宇宙論を字義通りにそのまま「信じる」ことは出来ません。

 

では現代の科学的宇宙論を大事にしつつ、

 

プラトンやフィチーノのコスモロジーから恩恵を得る方法はないのでしょうか。

 

それは、ユングやヒルマンが考えていたように、

 

こうしたコスモロジーの惑星や星たちについてのイメージを、

 

魂の次元のシンボル、つまり元型的イメージとして扱い、

 

想像力を介して深めていくという方法です。

 

そのとき、私たちの頭上に輝く天体は、

 

冷たい金属やガスの塊ではなく、

 

魂の深奥を映し出す豊かなコスモスとなります。

 

1年の終わりに星空を見上げ、

 

そこに映し出されているものを想像し、

 

ご自分の内なる宇宙を感じてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

2018年12月21日 23:16

内なるリズムとともに生きるー自律神経のリズム

波打ち際

自分の内なるリズムを意識していますか?

 

年の瀬も迫り、慌ただしい毎日を過ごしていらっしゃる方も多いと思います。

 

サバイバルのために環境に合わせて順応するのは、生き物として必須の能力だと思いますが、

 

その能力ゆえに、私たちのカラダもそんな慌ただしい外部環境に合わせて振り回されてしまっているかも知れません。

 

実際、私たちのカラダは、

 

刻々と変化するこの外部環境からの刺激に応じて、

 

常に変化しています。

 

ただ、このカラダの内部の反応のうち、

 

意識にまでのぼり気付くことが出来るのはごく一部です。

 

そもそもこうした生体反応は自律神経によってコントロールされているので、

 

私たちが意識してコントロールする必要がないようにできています。

 

自律神経とは、

 

瞳孔、心臓、胃腸、唾液腺、膀胱、気管などの内臓の働きをコントロールして、

 

体内環境を保つための神経です。

 

この自律神経には、二つの真反対の働きをする

 

「交感神経」と「副交感神経」があります。

 

自律神経が働き、

 

この二つのバランスが保たれているからこそ、

 

私たちが意識して頑張らなくても、

 

息をし、寝て、食べて消化し、体温を維持することができます。

 

自律神経のリズム

 

自律神経には、リズムがあります。

 

緊張したり、活動したり、ストレスを感じるときには、

 

交感神経が優位になり、

 

知らないうちに心拍数があがり、呼吸は浅くなり、筋肉は緊張します。

 

自分でも気付かないうちに、手の平や指先に汗をかき、皮膚温は下がっています。

 

けれど、活動し、緊張やストレスを感じる状況が過ぎ去れば、

 

今度は副交感神経が優位になり、

 

自然と心拍数は落ち着き、呼吸は深くなり、筋肉はゆるみます。

 

手の汗もひき、皮膚温は上がります。

 

活動するときには交感神経が優位になり、

 

ホッと一息つくと副交感神経が優位になる。

 

この交感神経と副交感神経のリズムは、

 

まるで寄せては引く波のようです。

 

生活のなかで、活動と休息、ストレスと解放がリズミカルに入れ替わることで、

 

この自律神経のリズムは整います。

 

自律神経が整っていることで、

 

私たちの体内環境は良いバランスに保たれ、体調も整います。

 

ですから、ストレスや緊張を感じることが悪いわけではなく、

 

日常の活動や多少のストレスで交感神経が活動していることは重要なことなのです。

 

大事なのは、その後に力を抜いてホッと一息つき

 

リラックスできるかどうかです。

 

逆に、交感神経が働かなくなってしまうと、

 

副交感神経が優位になりすぎて、心身の不調が出ることもあります。

 

(鬱状態になられて外に出る気力や意欲がなくなって寝ていることが多くなってしまわれた方は、

 

鬱の一番辛い時期を過ぎた頃に、少しずつでも散歩をしたり、昼間の活動をすることで自律神経が整い、

 

カラダの重だるさが楽になっていくことがあります)

 

通常の生活では、多くの方にとってそうしたストレス状況は一過性のものだと思います。

 

ですが、年の瀬のように忙しい時期や、仕事がたて込んでしまったとき、

 

辛いことが長期間続いてしまったとき、

 

ストレスの原因がすぐになくならないときなど、

 

ココロとカラダの緊張が続いてしまうときもありますよね。

 

そんな時には、意識的なストレスマネジメントとリラクゼーションが必要です。

 

バイオフィードバックで自分の状態に気付く

 

ストレスマネジメントやリラクゼーションには、様々な方法がありますが、

 

その一つに、バイオフィードバックがあります。

 

先ほど、生体反応は無意識下で起こると書きました。

 

こうした無意識の生体反応を目に見え、耳で聞こえるようにして、

 

カラダと意識をつなぎ、

 

自分でコントロールできるようにするのがバイオフィードバックです。

 

例えば、手の発汗を測るためには、皮膚電気反応(GSR)を測定します。

 

手の指先に、GSRを測定する装置をつけ、パソコンのモニターでその変化を見られるようにしておくと、

 

突然バタンと扉がしまる音がしただけで、GSRのグラフは急激に上昇します。

 

もちろん、本人は意識的にはほとんど何も気がついていません。

 

そのくらい繊細に、私たちの体内環境は外部の刺激によって変化しているのです。

 

今度はそのモニターを見ながら、意識的なリラクゼーションをしてもらうと、

 

急上昇していたグラフが、ゆっくりと下がっていきます。

 

そうした練習を繰り返していくうちに、どうすればバランスが保てるのかを、

 

感覚的に習得することができるのです。

 

筋肉の緊張を測るために、筋電図をとってみると、

 

パソコンで作業しているときなどはもちろん、

 

テレビを見ているあいだ、

 

バスに乗ってボーッとしているあいだ、

 

歯を磨いているあいだなど、

 

カラダに力を入れる必要が無いような場面でも

 

知らないうちに力を入れていることに気付きます。

 

カラダの力の入れ方は知っていても、

 

筋肉のゆるめ方を練習したことが無い方は多いのではないでしょうか。

 

呼吸のリズム

 

バイオフィードバックでよく取り上げる大事な生体反応が、呼吸です。

 

呼吸は、私たちの意識と無意識、

 

意識と自律神経をつなぐ大事な架け橋となるものです。

 

私たちは、意識して呼吸を止めることも、

 

早くしたり、遅くしたりすることも出来る一方で、

 

眠っているときや、無意識でも呼吸をつづけています。

 

ストレスを感じると呼吸が浅くなるというのは、よく耳にされるのではないかと思いますが、

 

息を吸って吐くというリズムのなかにも、

 

交感神経と副交感神経のリズムはあります。

 

息を吸うときに交感神経が優位になり、

 

息を吐くときに副交感神経が優位になります。

 

ということは、ゆっくりと息を吐くことを意識すると、

 

副交感神経を優位にすることができるのです。

 

これを読んで下さっている方が、このところ少し疲れを感じていらしたら、

 

まずはいつの間にか力が入っている首や肩の筋肉をゆるめるために、

 

肩を下に向けて下げて首と肩の緊張をゆるめ、

 

4〜6カウントしながらゆっくりと息を吐いて、

 

お腹の動きを感じてみてください。

 

忙しくて、自分を見失いそうになったとき、

 

いつでも戻ってこられる内なるリズムが、

 

この呼吸のリズムです。

 

忙しい年末、どうぞ体調を崩さずにお過ごしください。

 

2018年12月18日 06:19

グリーフの重要性 - 悲しみに寄り添うために

グリーフ

自分の悲しみとの向き合い方に意識をむけてみる

 

ご自分の悲しみとどんな付き合いをしていますか?

 

なるべく目を向けないようにしたり、避けてしまいがちだったり、恥ずかしさを感じたりしてはいませんか?

 

近年、前向きであること、ポジティブであることが良しとされる風潮があります。

 

もちろん、前向きであることは、良いことだと思うのですが、落とし穴もあります。

 

その一つが、Grief(グリーフ)のやり残しです。

 

日本グリーフ&ビリーブメント学会の定義によると、グリーフとは、

 

「大切な人の死を含め、愛着を抱いていた人物や環境、身体機能などを失う喪失に対する反応の総称」

 

となっています。

 

直訳すると、「深い悲しみ」となります。

 

“When we acknowledge grief, we acknowledge that everything we love, we will lose.”

 

これは、サイコセラピストのFrancis Weller(フランシス・ウェラー)の言葉ですが、

 

私たちが大切なものを失った深い悲しみを受け入れるとき、

 

私たちが愛するものはすべて、

 

いつか失うことになるという事実をも認めるのだと言っています。

 

愛があるからこそグリーフもあるのであって、

 

喪失の深い悲しみがあるということは、

 

その人の人生のなかで誰かや何かを

 

それだけ深く愛した経験があったということでもあります。

 

小さな喪失体験もないがしろにしない

 

家族や友人、恋人といった大事な人を亡くすという大きな喪失体験だけがグリーフではありません。

 

何か新しいことが始まるということは、

 

何かの終わりであり、お別れでもあります。

 

慣れ親しんだ学校を離れる、

 

仕事や職場を離れる、

 

家を離れる、

 

人間関係から離れるのも喪失体験です。

 

また、何かを選択するということは、

 

何か別のものを手に入れる機会を失うことでもあります。

 

人生はこんなにも喪失に溢れているのに、

 

そこに生じる悲しみや胸の痛み、

 

怒りや焦燥感、罪悪感、虚しさや憂鬱な気持ちに

 

私たちは十分な意識を向けているでしょうか。

 

もちろん逆もまた然りで、

 

何かの終わりは何かの始まりでもあるし、

 

何かを失うということは何か得ることの始まりでもあるので、

 

人生は同時に始まりと獲得でも満ちているとも言えます

 

どちらも大事なはずなのに、この始まりの方、ポジティブな側面ばかりフォーカスされ、

 

終わりをちゃんと哀しむこと、

 

失ったものきちんと悲しむこと、

 

グリーフのための時間とスペースを作ることの重要性を忘れがちではないでしょうか。

 

 

 悲しみのための時間とスペースを作っていますか?

 

グリーフのための時間もスペースも、せわしない日常のなかでは、見つけにくいものです。

 

お母さんであれば、泣きたくても、子供や家族を気にして泣けないかも知れません。

 

男性であれば、「男は泣いてはいけない」と思い込んでいる方もいるかも知れません。

 

友人たちの前では、元気で明るく前向きな自分でないといけないと感じる方もいるでしょう。

 

大事なものを失い、大事な人をなくして嘆き哀しんでいると、

 

「早く前を向いて、元気を出して」

 

と言われてしまった経験のある方も少なくないと思います。

 

だからこそ、

 

意識して自分にグリーフのための時間とスペースを作ってあげる必要があります

 

人生のなかで、何かを失うことが避けられないことならば、

 

どうしたら悲しみと「仲良く」なることができるでしょうか。

 

自分の悲しみに意識と関心をむけ、

 

優しさと温かさを持って向き合うことが重要ではないかと思います。

 

悲嘆に暮れる友人のそばに座り、そっと寄り添うように、

 

自分の悲しみのそばに座ってあげることができるかどうか。

 

コミュニティで悲しみを抱える

 

個人では抱えきれないような大きな深い悲しみを抱えた方もいます。

 

時にそうした大きな悲しみは、

 

コミュニティのなかで理解され、共感され、抱えられる必要があります。

 

様々な悲劇や辛い体験をされた方や、その家族のためのグループがあるのはそのためです。

 

私はクリスチャンではありませんが、

 

あるクライエントさんが抱えていた大きな深い悲しみを共有していたとき、

 

たまたま教会を訪れる機会がありました。

 

そのクライエントさんの苦しみについてじっと考えながら、

 

静かな教会のなかの椅子に座って、ふと高い天井を見上げたとき、

 

私ひとりでは抱えきれないそのクライエントさんの苦しみと悲しみが、

 

丸ごとフワッと抱えられたような気がしました。

 

神社やお寺、教会といった場所は、

 

これまで長い歴史のなかで私たちの苦しみに寄り添い、

 

グリーフのための場所として機能してきたのかも知れません。

 

けれど、いまの私たちの社会に、身近なグリーフのためのスペースはあるでしょうか。

 

今の日本はそうした場所を失いつつあるように感じます。

 

どうしたら私たちの社会にそうしたスペースを作っていけるのか。

 

とても大事な課題だと思っています。

 

2018年12月15日 06:00

カウンセリングって何するところ?②

緑のトンネル

前回、こころの変容のための「容器」としてのカウンセリングのお話しをしました。

 

そして、「色々な感情や考えが湧いてきても、それを取りあえず脇において日常生活を送ることが出来るのはその人の強さ」と書きました。

 

カウンセリングで体験されることの一つに、この「内なるスペースを作ること」があります。

 

この内なるスペースがないと、日常生活で起こる出来事一つ一つに必要以上に反応してしまったり、自分のなかに湧いてくる一つ一つの感情に圧倒されてしまう感じがしたり、目の前のことを楽しんだり集中できないというような状態になりがちです。

 

認知心理学に、ワーキングメモリ(作業記憶)という言葉がありますが、

 

これは、脳の前頭葉の働きを指す言葉で、記憶から引き出したその時々に必要な情報を一時的に置いておき、それらを同時に処理する能力のことを言います。

 

その名のとおり、作業をするための領域のことなので、作業をするのに必要な道具やモノを置いておく作業机にたとえられます。

 

ワーキングメモリは鍛えられるかどうか、というような議論もありますが、この作業机に同時に載せておくことが出来る情報の量は、だいたい7つ前後と決まっていると言われています。ですので、ワーキングメモリがきちんと働いているということは、この作業机がいつも整理され、不要なものはどんどん手放していけているということを意味します。

 

こころの内なるスペースについても、同様のことが言えます。

 

前回、「未完了の仕事」について触れましたが、苦しくて無視してしまったり、辛くて目を向けられなかったり、自分でもそれを理解することができないためにモヤモヤしたままになってしまった色々な想いは、「未完了の仕事」としてこころのどこかに置きっぱなしになって、私たちのこころのスペースを占領していることがあります。

 

そうした「未完了の仕事」をしっかりプロセスして手放していくことで、こころにスペースが生まれます。

 

過去から持ち越してきた沢山のこころの荷物を整理して、こころの中の風通しをよくすると、精神的な余裕や遊びが生まれます。

 

また、このこころの内なるスペースがあると、日常生活での大変な出来事が、自己成長の機会にもなり得ます。

 

生きている限り、ストレスはなくなりませんし、新しい問題が次から次へと身に降り掛かってきますよね。ワーキングメモリと同様に、次から次へと入ってくるものを処理して、手放していかなければなりません。

 

こころに内なるスペースがあることで、周囲の人や出来事に振り回され、自分の気持ちに振り回されるのではなく、自分はいまどう感じているのか、それは自分にとって何を意味するのか、自分はどうしたいのか、といったことを“reflect”(熟考)することができます。このリフレクションこそが、こころの成長には欠かせないものではないかと思います。

 

自分の人生を生きるために必要なスキルでありながら、なかなか機会のないこころの整理とその仕方を学べるのがカウンセリングでもあります。

 

ただ、これらはあくまでもカウンセリングで多くの方が体験されることの一つに過ぎませんし、必ずしも同じ体験になるとは限りません。

 

また、カウンセリングだけがこうした体験の場ではないとも思いますが、ご自分のこころに関心を持つ方には、ご自分に合ったカウンセリングでこころのスペース作りを体験してもらえたらと思っています。

2018年12月12日 06:00

東京・三鷹・武蔵野市のホリスティックヘルス・カウンセリングルーム Helix Centre

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